真の父母様の本体論

キリストによる三大王権を中心として展開する天一国の真理真相解説

神様は真の愛を探すために創造を始めた!その旅は息子娘が真の愛と出会ってこそ終わる!

先回記事重要部分


三次元世界を創造する前のことですから、三次元の現象の表現である包み込むという言葉では、表現できない神様の感じ取った喜びの感覚です。神様の為される全ての喜びの展開を、公認されたような感覚が込み上げるとともに、無限の存在でありながら、360度から包み込んでくる感覚が実感となるのです。


永遠普遍の無限の存在の神様を、包み込んでくるものがあるなどと、全知全能の神様でさえ考えが及ばぬことでした。神様自身と完全一体となっているがゆえに、その存在様相を完全に消し去っていた前段階エネルギーでした。そのエネルギーの絶対服従性が、神様の知情意を刺激した瞬間、神様は前段階エネルギーから与えられた包容の感覚を、内的愛だと認識し自覚したのです。


神様自らは思いもしなかったのに、その内的愛は他のどんな作用にも増して、無意識世界の中心点から湧き上がるとともに、神様自身を包み込んでくるのです。永遠普遍で無限の神様をも包み込んでくる偉大な感覚を、愛と呼んで神様が覚醒し、『愛により生まれた』と実感することになるのです。


原理法則に則って必然的に喜びが成就する永遠の状態から、前段階エネルギー(自存エネルギー)に包み込んでくる内的愛を感覚したその瞬間こそ、神様の心情に爆発的な感動を与えたものとなったのです。


360度から包み込まれるという事は、存在の全てであった永遠普遍の無限の神様に、「一」という認識が生じた瞬間でもあるのです。愛の神様の誕生であり、「一」なる神様の出現であり、ここに宇宙の起源、宇宙の根本があるのです。


  *****


神様はたった一人で、他の何ものをも意識することなく存在していました。


「御旨と世界」 人間に対する神の希望より
「我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙とを創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。神は、今や、御自身のためではなく、その対象物のために生きるようになったのです。」 


その神様には「一」という概念は無く、「時空」という概念もありませんから、神様自身が無限の存在でした。その無限の神様に、本来はあり得ない、「包まれた」という実感を与えたものの正体は何なのでしょうか。


その正体は、神様の本性相の思考展開に完全相対して、授受作用を展開させる本形状の前段階エネルギーの性質にあります。


神様が自分自身の構想を実現し喜びを実感するには、本形状として、本性相の対象として立ちながら、その存在自体は絶対無であるという、その「無の尊さ」こそ「真の愛の根源」にあるものなのです。


神様の構想を実現するために、本形状の前段階エネルギーは、自らの形を持たず、作用している事さえ「完全無・絶対的無」であらねばならなかったのです。それであってこそ、神様が無限に喜びを求める情的衝動が、無限に向かって大きくなるほどに、結実する喜びは、神様の期待を超えるものとなっていったのです。


求めた構想がそのごとく実現する積み重ねにおいて、得られる喜びが神様が求める期待を超えてわき上がって来た時に、包み込まれたという感覚が実感となったのです。


その包み込まれた実感がどこから来たのかと言えば、存在が完全無・絶対無となっていた本形状の、絶体相対性と絶対服従性と絶対実現性の性質と機能から来ているものだったのです。


それを発見し情的に覚醒した自己中心的な神様は、真のお父様のみ言を通して次のように語られたのです。


天聖経 宇宙の根本 第一章 宇宙の根本秩序一、神様の二性性相の大展開 1.神様は二性性相の中和体
 何が統一的起源をもたらすのでしょうか。一人でいらっしゃる神様を、統一的位置で何が喜ばせてさしあげるのでしょうか。「原理」でいえば、神様は二性性相の中和的存在であり、格位においては男性格です。その男性格位というものが、どのようにして男性格位になるのかを知らなければなりません。男性格位ならば主体でありプラスですが、相対なくしてはプラスはありません。その概念の中で、なぜプラス格位にいらっしゃるのですか。愛ゆえにいらっしゃるのです。絶対的神様も絶対的に服従してみたいというのです。愛には絶対的に従順になりたい、絶対的に一つになりたいというそのような基台がなくなる時には、統一も融合も和合というものもありません。それは、根源がないために分散してしまいます。


 神様から造られたすべてのものはペア・システムです。鉱物世界もペア・システムであり、級は低いのですが陽イオンと陰イオンも愛を表示しながら絡み合っているのです。これは、レバレンド・ムーンがこの世に現れて、歴史始まって以来初めて発表するのです。神様御自身も真の愛を絶対視して、それに絶対服従して生きるというその起源を発表したのは、歴史上レバレンド・ムーンが初めてです。それは観念ではなく事実です。ですから、神様は、真の愛を探し出すために創造されたのです。


自己中心的な神様は、それまで存在を無にしていた対象である本形状の前段階エネルギーに、包み込まれる感覚を得たことによって、はじめて対象を意識したのです。そして、包み込まれる喜びの湧き上がってくる根本の性質に覚醒したのです。


その性質こそ、無であった本形状の「絶対相対性・絶対服従性・絶対実現性」なのです。その性質が自己中心的な神様の喜びを求める情的衝動を刺激し、主体と対象の関係性において、無限の存在さえも超えて包み込んでくる喜びの境地に、「真の愛」を感じ取ったのです。


そこで神様は、「愛によって生まれた。」と実感し、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」によって「真の愛」を探し出そうとし始めるのです。



お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

神様を360度から包み込んで来たものの正体は・・・!原理原本の冒頭に秘められた鍵!

先回記事重要部分


この形状を持たない本形状に、本形状自体の形状が備えられるようになったことを、真のお父様は「神様自体が性相と形状によって構成されるようになった。」と語られたのです。


それではなぜ神様は、無意識世界の最深奥に潜在させ、無い状態になっていた本形状の存在に心を留め、さらに本形状自体の形状を持たせることを思いついたのでしょうか。


そのきっかけは何かといえば、無限大の神様を包み込んでくる感覚なのです。真のお父様は「宇宙の根源」について、次のように語られています。


宇宙の根本 第二章人間創造と愛の理想の完成一、愛の絶対価値1.人間の男性と女性
 神様の愛と人間の愛がいつ一つになるのかということが問題です。これが歴史的な問題であり、宇宙創造以降の重大な問題です。これが解決されない限り、宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。真の愛を中心としては、神様は核の位置に立たなければなりません。それでは、アダムとエバは何でしょうか。アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。皆さん、くりのようなものを見れば、二つのかけらになって胚芽を包んでいるでしょう? それと同じように、神様を核として、男性と女性が愛を中心として完全に一つになるのです。


「宇宙の根源が解決されない限り、絶対に結果が解けない。」と語られながら、創造期間136億年の愛の結実である、アダムとエバについて書いています。


アダムとエバは核を包み込む二つのかけら同じということは、二人が結ばれる時のことを表しています。アダムの生殖器は夜の神様の生殖器ですから、その生殖器がエバの生殖器に包み込まれることを意味しています。簡単に表現すれば、神様が包み込まれるという事です。


アダムとエバの初夜において、神様の四大心情圏が完成しますから、対象としての被造世界における愛の結実です。これが創造の結果であり、この原因となった出来事にこそ、宇宙の根源があるという事になります。


そうすると、無限大の神様をさらに超越して、たった一人の神様を包み込んで来た存在があったという事になるのです。神様をさえ包み込んで来た、その存在は何なのかという事になるのです。


私の記述に、じれったいと感じる方もいるでしょう。宇宙創造期間136億年を越えて、さらなる時空の彼方の出来事を理解しようとしているのです。それも三次元に拘束された人間の体験と思考回路から、それを導きだそうとしているのです。私一人には、とてもできないことです。


だからこそ、神様の心情世界、無意識世界を教えてくれる真のお父様に学ぶのです。自分の観念や概念で理解しようとすると限界があります。自分を無くして、悔い改めをもって、お父様の聖霊に聞いてみるのです。


  *****


先回記事に続き、再度、次のみ言を引用します。


宇宙の根本 第二章人間創造と愛の理想の完成一、愛の絶対価値1.人間の男性と女性
 神様の愛と人間の愛がいつ一つになるのかということが問題です。これが歴史的な問題であり、宇宙創造以降の重大な問題です。これが解決されない限り、宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。真の愛を中心としては、神様は核の位置に立たなければなりません。それでは、アダムとエバは何でしょうか。アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。皆さん、くりのようなものを見れば、二つのかけらになって胚芽を包んでいるでしょう? それと同じように、神様を核として、男性と女性が愛を中心として完全に一つになるのです。


先回記事に、次の事を書いています。


「アダムとエバは核を包み込む二つのかけら同じということは、二人が結ばれる時のことを表しています。アダムの生殖器は夜の神様の生殖器ですから、その生殖器がエバの生殖器に包み込まれることを意味しています。簡単に表現すれば、神様が包み込まれるという事です。」


この内容を、栗の断面写真と、レオナルド・ダ・ビンチによって描かれた男女咬合図を並べ比べながら説明します。



栗の胚芽が核としての神様として比喩され、種の左右二つのかけらは、男性と女性に例えられて、真のお父様は次のみ言を語っています。


「皆さん、くりのようなものを見れば、二つのかけらになって胚芽を包んでいるでしょう? それと同じように、神様を核として、男性と女性が愛を中心として完全に一つになるのです。」


アダムとエバの初夜において、神様の四大心情圏が完成します。この時に、神様の愛と人間の愛がひとつになります。対象としての被造世界における真の愛の結実です。これが創造の結果であり、この原因となった出来事にこそ、宇宙の根本があるという事になります。


そうすると、無限大の神様をさらに超越して、たった一人の神様を包み込んで来た存在があったという事になるのです。たった一人と表現しましたが、この段階では全てです。他の何ものをも意識していない神様ですから、神様以外の存在はありません。ですから、神様は一人でもなく「一」なる存在でもなく「全て」です。その神様をさえ包み込んで来た、その存在は何なのかという事になるのです。


結論から言えば、無限大の神様の本性相の全て・・・、内的性相と内的形状の授受作用で展開する意識世界から無意識世界までの、神様の心そのものを包み込んで来たのは、虚無の存在でなければならなかった本形状のエネルギーです。一度、読んだだけでは意味が読み取れないと思います。


非常に難解な解説になりますが、理解できて腑に落ちると、天一国に展開する真の愛の本質が見えるようになります。そこに至る為の、アベルカイン一体の本質的勝利がつかめるようになってくるのです。


本形状の前段階エネルギーは、本性相の知情意による思考展開と情念流動と、絶対的な相対基準を結んで、陽性と陰性のエネルギーの無限の組み合わせによる授受作用を展開していました。神様自身の喜びを得るための構想が、授受作用によって、無意識世界から意識世界へと投影され具現化していました。


本性相の知情意により構築された構想が、意識世界で完全に具現化され神様の喜びとなるためには、前段階エネルギーの存在をわずかでも神様が感じ取ってしまったならば、喜びの実感が崩れてしまうのです。ですから、前段階エネルギーの存在感は絶対無でなければなりませんでした。


自らの存在が絶対無である前段階エネルギーは、授受作用によって、神様の本性相の構想を実現し続けることになりますが、永遠の作用展開において、どのような事が起きるでしょうか。


本性相に対して、本形状は存在を絶対無とするまでの完全一体となった授受作用において、授けて受ける関係を無限に繰り返していると何が起きるというのでしょうか。神様自身が構想上に描いていない喜びの感覚が、無意識世界の深奥から湧き上がり、その喜びを本性相の知情意がキャッチするのです。


神様の知情意の記憶は完全無欠であり、「授けて受ける」または「求めて与えられる」という作用の繰り返しにより喜びの境地に入っています。


本性相の主体としての思考を、必ず実現する対象としての本形状の前段階エネルギーの作用によって、その無限の絶え間ない連続から、喜びを得ようとする情的な衝動に向けて、自らが包み込まれる感覚という答えとなって返ってくるのです。


全ての授受作用は、主体である本性相の「授ける」及び「働きかける」心から始まり、対象の本形状が主体の働きに答えて受けて実らせる作用となって意識世界に現象化するからです。神様には、その前の授受作用から、喜びを成就して実感した感動の大きさが残っていますから、さらに大きな喜びを求めて実現した感動がさらに優っていきます。


すると、より大きな喜びを求める心情は、前の段階での記憶の残存痕跡の作用から、前段階エネルギーに包容される感覚を実感するのです。前段階エネルギーに過ぎなかった本形状の力の作用に、神様が包容されるという感覚を覚えた時点で、この無限で永遠普遍である前段階エネルギーの作用を、内的愛だと自覚するのです。内的愛により神様が自存していたエネルギーですから、自存エネルギーとも呼べるでしょう。


三次元世界を創造する前のことですから、三次元の現象の表現である包み込むという言葉では、表現できない神様の感じ取った喜びの感覚です。神様の為される全ての喜びの展開を、公認されたような感覚が込み上げるとともに、無限の存在でありながら、360度から包み込んでくる感覚が実感となるのです。


永遠普遍の無限の存在の神様を、包み込んでくるものがあるなどと、全知全能の神様でさえ考えが及ばぬことでした。神様自身と完全一体となっているがゆえに、その存在様相を完全に消し去っていた前段階エネルギーでした。そのエネルギーの絶対服従性が、神様の知情意を刺激した瞬間、神様は前段階エネルギーから与えられた包容の感覚を、内的愛だと認識し自覚したのです。


神様自らは思いもしなかったのに、その内的愛は他のどんな作用にも増して、無意識世界の中心点から湧き上がるとともに、神様自身を包み込んでくるのです。永遠普遍で無限の神様をも包み込んでくる偉大な感覚を、愛と呼んで神様が覚醒し、『愛により生まれた』と実感することになるのです。


原理法則に則って必然的に喜びが成就する永遠の状態から、前段階エネルギー(自存エネルギー)に包み込んでくる内的愛を感覚したその瞬間こそ、神様の心情に爆発的な感動を与えたものとなったのです。


360度から包み込まれるという事は、存在の全てであった永遠普遍の無限の神様に、「一」という認識が生じた瞬間でもあるのです。愛の神様の誕生であり、「一」なる神様の出現であり、ここに宇宙の起源、宇宙の根本があるのです。


真のお父様直筆の、原理原本の超越的な書き出しとなるのです。


  **原理原本「序章『一』から全存在へ」**


 太初はすなわち「一」であられる。この「一」がすなわち太初の根本である。この根本がすなわち「ハナニム(神)」であられる。この「一」なる存在こそ、無限小から無限大なる存在の根本である。この「一」なる根本が全体の根本であり、また全体の中心であり、またあらゆる作用の外力に対して平衡をとる起本時点(基本支点)である。

 そして、現代の科学時代に身をおく我々の生活課程では、数学を離れてその基本発展の軌道を定めることはできない。複雑で多端な現実社会を構成する基礎も、数の単位である「一」を中心とし、その中心を主として展開させ大数の実体を生み出すことは、我々のよく知るところである。それゆえ、ある存在の根本を立てるためには、「一」なる存在を確定し、存立させることが重大である。この存在が決定すれば、再び「一」から増数の重大な要素を加減し、組み合わせていくことができる。ここに発展があり発達がある。


  **引用終了**


本性相の内的形状の原理原則から見れば、「一」なる神様の出現であり、本性相の内的性相の知情意から見れば「愛」の神様の誕生です。


次回の記事をお待ちください。



お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

お父様の聖霊を迎え136億年を越え遥かな超越的事象を理解しようとしているのです!

先回記事重要部分


このみ言の最も重要なテーマは、「愛によって生まれた」と語られた部分よりも、その直後のみ言にあります。


「宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。」


愛によって生まれたことから、「神様自体が性相と形状によって構成されるようになった。」と語られているのです。


つまり、愛によって生まれる前は、「性相と形状という構成」にはなっていなかったという事です。これはどういう事でしょうか。


たった一人で存在していた神様は、存在の喜びを得るための授受作用は本性相、つまり心の内で完結していました。原理用語で解説すれば、本性相の内的性相と外的形状の授受作用という事になります。授受作用によってエネルギーが働き、無意識世界から意識世界に構想が展開されるということになります。


この作用するエネルギーは本来、本形状から来るものです。その本形状が、神様が愛によって生まれる前は、どのような状態であったのかが理解できれば、真のお父様が伝えようとしているみ言の真意が見えてくるのです。


次回、たった一人で存在していた神様の本形状は、本形状自体の形状を持たない「虚無」の存在であったことを解説していきます。


  *****


創造前の神様を理解するために重要な部分ですので、先回記事で解説した内容を再度取り上げます。


  **先回記事より引用開始**


たった一人で存在していた神様も、喜びを得るために存在していました。その神様に喜びを与えてくれる対象は存在することが可能なのでしょうか。


自己中心的な神様ではありましたが、その神様にとっての喜びは、自己の構想する知情意の思考展開が、そのまま実現し顕現した無限環境圏となります。自分にとっての真・美・善を、意識世界に自己投影して出現する、無限環境が対象となっていました。つまり、対象は自分の喜びを得るための理想が投影されたものであり、神様の中で主体と対象が完結しているのです。喜びとなる対象は、自分自身が投影され、意識世界に描かれた自分自身なのです。


人間に例えるならば、自分の想像の中で、夢を実現した状況を思い浮かべ、満足感を得ているようなものです。人間はその夢を現実世界で実現して、初めて喜びとなります。ところが自己中心的な神様においては、思考展開し情念が沸き起こる意識世界こそ、神様にとっての現実です。そこで喜びは、実感となっているのです。


つまり、神様の本性相の無意識世界と意識世界において、存在の喜びは完結しているのです。それでは、無意識世界から意識世界へと、神様の喜びを得るための構想が、何をもって意識世界へと立ち昇り、喜びの実感となる作用が展開しているのかという事になります。


その作用は、のちに本形状と呼ばれるようになる前段階エネルギーによって為されています。神様が本性相と本形状の二性性相の様相になるのは、神様が愛によって生まれてからです。


  **引用終了**


自己中心的な神様は、自分自身の喜びの実現のために、全知全能の限りを尽くして喜びを得るための構想を立て、その構想を無意識世界から意識世界へと、知情意の思考展開により浮かび上がらせていました。


かつて真のお父様が地上におられた時に、亨進様の「何次元の世界まであるのか?」という問いに、「八次元まである。」と答えられていました。創造後の三次元世界が現れる前は、八次元世界と言っても、その次元ごとの境界は無かったでしょう。ですから、神様は自らの喜びの構想を無限次元世界に顕現させ、そこに展開される千変万化の真美善の境地を楽しんでおられたのです。


無意識世界から意識世界へと、自分の思考展開や情念の流動を起こすにもエネルギーが必要です。そのエネルギーは、喜びを得ようとする情的な衝動から溢れ出てきます。統一思想の用語でいえば前段階エネルギーとなるでしょう。喜びを得ようとする情的な衝動によって展開される思考と意志に従って、絶対的な相対基準を造成して活動展開します。


喜びを得ようとする目的を中心として、本性相の思考展開に絶対的相対基準を造成し、本形状の前段階エネルギーは完全一体となって授受作用し、神様が構想した喜びの境地を無意識世界から意識世界へと投影するようになるのです。


この授受作用において、前段階エネルギーの働きを神様が感じるようでは、神様の喜びを得る境地の構想は実現することはできません。ゆえに、エネルギーの存在感は、神様にとって絶体無でなければならないのです。エネルギーの存在は分かっていますが、意識にかすめる基準でも、顕現させる真美善の境地に違和感が生じるのです。ですから、エネルギーの存在は、無意識世界の最深奥に潜在する状態で、意識世界では絶対無の状態になるのです。


つまり、神様がたった一人で存在していた段階では、本形状のエネルギーは本性相における思考展開・情念流動のままに、本性相の作り上げる構想を絶対服従性を持って顕現させるのです。形状と呼ばれながら、本形状自体の形状は存在しないのです。


この形状を持たない本形状に、本形状自体の形状が備えられるようになったことを、真のお父様は「神様自体が性相と形状によって構成されるようになった。」と語られたのです。


それではなぜ神様は、無意識世界の最深奥に潜在させ、無い状態になっていた本形状の存在に心を留め、さらに本形状自体の形状を持たせることを思いついたのでしょうか。


そのきっかけは何かといえば、無限大の神様を包み込んでくる感覚なのです。真のお父様は「宇宙の根源」について、次のように語られています。


宇宙の根本 第二章人間創造と愛の理想の完成一、愛の絶対価値1.人間の男性と女性
 神様の愛と人間の愛がいつ一つになるのかということが問題です。これが歴史的な問題であり、宇宙創造以降の重大な問題です。これが解決されない限り、宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。真の愛を中心としては、神様は核の位置に立たなければなりません。それでは、アダムとエバは何でしょうか。アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。皆さん、くりのようなものを見れば、二つのかけらになって胚芽を包んでいるでしょう? それと同じように、神様を核として、男性と女性が愛を中心として完全に一つになるのです。


「宇宙の根源が解決されない限り、絶対に結果が解けない。」と語られながら、創造期間136億年の愛の結実である、アダムとエバについて書いています。


アダムとエバは核を包み込む二つのかけら同じということは、二人が結ばれる時のことを表しています。アダムの生殖器は夜の神様の生殖器ですから、その生殖器がエバの生殖器に包み込まれることを意味しています。簡単に表現すれば、神様が包み込まれるという事です。


アダムとエバの初夜において、神様の四大心情圏が完成しますから、対象としての被造世界における愛の結実です。これが創造の結果であり、この原因となった出来事にこそ、宇宙の根源があるという事になります。


そうすると、無限大の神様をさらに超越して、たった一人の神様を、包み込んで来た存在があったという事になるのです。神様をさえ包み込んで来た、その存在は何なのかという事になるのです。


神様以外に、何の存在もありません。無であるのに包み込んで来たと、神様が感じ取ったのです。神様は絶対無から、包み込まれる感覚を得たのです。無限大の神様を包み込んでくるものなど、あるわけがないにもかかわらず感じ取ったのは何故なのか。


包み込まれるという感覚は、三次元世界のものです。三次元世界において包み込まれると表現されるような、神様のそれまでの概念には無かった情的感覚が、神様の意識世界で覚醒されたのです。


私の記述に、じれったいと感じる方もいるでしょう。宇宙創造期間136億年を越えて、さらなる時空の彼方の出来事を理解しようとしているのです。それも三次元に拘束された人間の体験と思考回路から、それを導きだそうとしているのです。私一人には、とてもできないことです。


だからこそ、神様の心情世界、無意識世界を教えてくれる真のお父様に学ぶのです。自分の観念や概念で理解しようとすると限界があります。自分を無くして、悔い改めをもって、お父様の聖霊に聞いてみるのです。



お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村