天一国心情圏ブログ

天宙平和統一国の指針!真の父母様の本体論と絶対性教育により天一国市民の資格を得る!

お父様のみ言と二代王様の人間の知恵を超えたみ言を完全に信じて受け入れれば本然世界が見える!

諸星くると

先回記事末部より


真のお父様は1990年1月12日のみ言と、2010年4月4日のみ言の中で、神様が真の愛に覚醒する瞬間を「比喩と象徴を用いた詩的文体のみ言」で語られていたのです。


神様は対象の存在に覚醒され、内的性相が主体となり、内的形状が対象となって循環作用が起こるのです。その循環作用にエネルギーが働けば、神様自身に中心が生じて、真の愛の球形運動が発想されるようになるのです。


次回、もっと深めていきましょう。ここで解説している内容は、真のお父様の詩的文体で表現されたみ言に込められている内容です。菅井が神様の本質に入っていると主張し、キリストの如く語っていると批判する方々が多くいますが、キリストである真のお父様が地上に残されたみ言を解釈しているにすぎません。


深めていけば深めていくほどに、お父様の聖霊は菅井を導いて下さるでしょう。どうどうと前に進みましょう。


  *****


真のお父様は、神様の誕生について次のように語られています。


宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1) 神様の二性性相の大展開

 神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されます。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。(207-27,1990.10.21)


神様の誕生も成長も、私たち人間とまったく同じだと語られています。あなたがみ言の意味を解釈し受け止めるとしたならば、どこまで真のお父様のみ言を信じますか。


神様には肉体がありませんので、その観点からは全く同じとは最初から言えません。同じだと言えるならば、それは愛における神様の心の成長ではないでしょうか。


人間の赤子は、自分自身では生きることができません。親が環境を整えて見守っている中で成長していきます。神様はどうだったのでしょうか。神様のみで自存していた段階でも、喜びを感じ取っていました。神様がなぜ喜びを感じることが出来たかと言えば、全知全能の存在者として、永遠に喜びを得て存在できる性相と形状のシステムがあったからこそ、そのシステムを稼働させることで喜びを得ていたのです。


なぜ神様を存在させ得るシステムがあったのかは、私たち人間の知恵や知識からでは思い計ることも出来ません。永遠の神様であり、そのごとくに有って有る神様なので疑問を挟む余地もありません。


このように考えると、人間の赤子と愛の次元では全く同じなのです。一人で存在していた神様は、その存在システムが100%神様の希望や欲望を叶えます。人間の赤子に対しては、親が100%赤子の欲することをかなえようとします。親が完全な愛で環境圏を整えることが出来たならば、赤子はすべての欲望を叶えることが出来るのです。


たった一人の神様が、他の何ものをも意識することなく、自分の願いを叶えることに喜びを得ていたならば、それは愛の次元において、赤子と同様であったということなのです。


神様は性相と形状のシステムの稼働を展開させ、無限の存在として希望欲望が無限大に大きくなるその極点に達する時が来ます。一人の無限の存在としての限界点に達した時に、神様を存在させているシステム自体が神様を愛の存在に導いていくのです。そこで、対象の存在に覚醒した時に、神様はみずからの存在自体が愛であったと悟られたのです。


だからこその、「神様は愛によって生まれました」という真のお父様のみ言が出てくるのです。


神様は、人間とまったく同じように生まれ成長されたのです。真のお父様のみ言に込められた真意は、み言を完全に信じる事から見えてきます。


2010年4月4日に語られた、「宇宙の根本に月暈がなければ解説できません。」というみ言も、1990年1月12日に語られた「神様はゼロの位置、無になり、あそこは120になる」のみ言も、そのみ言を完全に信じるところから紐解けるようになるのです。


2010年4月4日真のお父様のみ言

【太陽があれば、太陽にも月暈(つきがさ)のようなものがあります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本に月暈がなければ、解説できません。】(日暈=ひがさ・ハロ現象)

1990年1月12日真のお父様のみ言

【完全に投入して神様はゼロの位置、無になり、あそこは120になるので、気圧でいえば、ここは低気圧中の低気圧である真空状態になり、あちらは高気圧になるので、ひゅーと循環作用が起きて自動的な発展原則、自動的な運動原則を追求します。それで、絶えず押し込めば、こちらは巻き込むでしょう。自分を包囲するそのようなことが展開するのです。】


このような比喩と象徴の詩的文体のみ言は、様々な受け止め方になってしまうでしょう。しかし、一ヵ所から二ヵ所へ、さらにパズルのようにみ言が関係性を持ちながら、重なれば重なるほど、意味が絞られて明確になり、焦点が合うようになってくるのです。


2010年4月4日に「宇宙の根本に月暈(つきがさ)がなければ解説できません。」と語られたみ言の後半で、次のように語られています。


【神様の教本と教材を作りました。先生は秘密を残さず、すべて教えました。目に見えない無形の神、光の本体となり得る夜の神に代わって自伝を作り、教材や教本を作ったのですから、それ以上の秘密文書はなく、それ以上の明るい歴史はありません】


この月暈を説明する際に語られた、「真っ黒な闇の群れが光の色です。闇と光は同じです。」というみ言から、神様の意識世界と無意識世界のことが想定され、1990年1月に語られた「あちら」と「こちら」が何を指しているものなのかが分かり、このみ言で表現された内容こそが、「神様の誕生」の瞬間であり、「真の愛の起源」そのものなのだということが分かってきました。


神様が愛によって生まれる瞬間のことを、真のお父様は次のように表現しています。


天聖経より

【完全に投入して神様はゼロの位置、無になり、あそこは120になるので、気圧でいえば、ここは低気圧中の低気圧である真空状態になり、あちらは高気圧になるので、ひゅーと循環作用が起きて自動的な発展原則、自動的な運動原則を追求します。それで、絶えず押し込めば、こちらは巻き込むでしょう。自分を包囲するそのようなことが展開するのです。それは何をもってですか。愛をもってするのです。宇宙の根本が愛なので、このような原則により、このように展開されるのです。】

Deepl翻訳

【完全に投入した結果、神はゼロ、無となり、そちらは120となるため、 気圧で言えば、こちらは低気圧の中の低気圧である真空状態になり、あちらは高気圧になるので、シュッと循環作用が起こり、自動的な発展の原則、自動的な運動の原則を追求するのです……。ですから、どんどん押し込めば、こちら側に包み込むでしょう? 自分を包囲するでしょう? そうではありませんか? そのようなことが繰り広げられるのです。それは何をもって?愛をもって行うのです。宇宙の根本が愛であるため、このような原理によってこのように起こるのです。】


この「真の愛の起源」に関するみ言から、「愛の種と生命の種」「性相と形状」に関するみ言や、また「女性の構想」を立てていく内容を語られたみ言など、全てが関連を持って繋がり合い、全てのみ言の真意として合致していくようになるのです。



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諸星くると

先回記事重要部分より


真のお父様のみ言は、見事なまでの詩的表現で語られたものです。それが年代を超えて繋がり合い、共鳴し合って、言葉で表現できる内容を超えた意味合いや意義が浮かび上がってくるのです。


真の愛に覚醒した瞬間を、1990年1月12日のみ言では次のように表現しています。

「ひゅーと循環作用が起きて自動的な発展原則、自動的な運動原則を追求します。」


このみ言に対して2010年4月4日のみ言では、循環作用から発展する運動原則を「日暈(ひがさ)月暈(つきがさ)」と比喩しています。神様は主体と対象の授受作用による球形運動から愛の展開に覚醒し、そこから真の愛へと心情世界を昇華させていくのです。


真のお父様のみ言は、語られた年代を超えて共鳴し合い、意味づけ意義付けし合いながら人間の知情意の世界を超えた次元に導いていくのです。


  *****


先回記事で引用した真のお父様の2010年4月4日のみ言と、1990年1月12日のみ言をこの記事でも引用します。


2010年4月4日真のお父様のみ言

 太陽があれば、太陽にも月暈(つきがさ)のようなものがあります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本に月暈がなければ、解説できません。(日暈=ひがさ・ハロ現象)

 闇があれば、その闇の群れがあるのです。真っ黒な闇の群れが光の色です。闇と光は同じです。闇の群れとは何かといえば、光だということです。こんな話は初めて聞きますね?

光はどこから出てくるのか?七色を合わせると黒色になります。光は闇の何なのか?闇の何だと言うのですか?「群れ」です、群れ。どんな物や光彩にも「群れ」=(輪)があります。それを知らなければなりません。

今後、理想世界はどうなるのか?二者が合わされば、闇でもなく昼でもない、水平線に太陽が昇る前にすべてが見えるのと同じです。

  ***


宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 3)宇宙の根本は愛である ①宇宙の中心は愛である

 神様が天地を創造される時、どのようにされたのでしょうか。神様の相対になることができるのは、人しかいないのです。それで、自分を100パーセント投入されました。それでは、知恵の王なのに、なぜ投入されたのでしょうか。完全に投入して神様はゼロの位置、無になり、あそこは120になるので、気圧でいえば、ここは低気圧中の低気圧である真空状態になり、あちらは高気圧になるので、ひゅーと循環作用が起きて自動的な発展原則、自動的な運動原則を追求します。それで、絶えず押し込めば、こちらは巻き込むでしょう。自分を包囲するそのようなことが展開するのです。それは何をもってですか。愛をもってするのです。宇宙の根本が愛なので、このような原則により、このように展開されるのです。

(1990年1月12日)


先回記事で引用した2010年4月4日のみ言で用いられている「群れ」という言葉は、真のお父様が語られた韓国語では「무리(ムリ)」という一語で表されています。「무리(ムリ)」を日本語に翻訳すると次のような意味が浮かび上がるのです。


【무리(ムリ)」 群れ=一時的な集まり 集まり=共通の目的やつながり 輪=光の群れ・集まりによる輪】


このみ言で語られた「闇の群れ」とは、どのような意味に読みとることが出来るでしょうか。神様のみで存在していた段階では、神様は自分の思考による意識世界で喜びを体感していました。つまり、ロゴスです。三次元世界で展開される神様の一体理想とは、まったく違う次元のロゴス世界が展開していました。


つまり、「闇の群れ」とはロゴスが意識に展開される前の、無意識世界に潜在している神様のロゴス群を比喩したものと言えるでしょう。その潜在しているロゴス群が、喜びを得たいという情的衝動によって生じたエネルギーの働きにより、意識世界に顕現することにより、神様は自分自身の存在を認識し喜びを得ていたと言えるでしょう。


2010年4月4日に「闇の群れ」というみ言が語られたことにより、1990年1月12日の次のみ言の意味が理解できるようになるのです。


「それでは、知恵の王なのに、なぜ投入されたのでしょうか。完全に投入して神様はゼロの位置、無になり、あそこは120になるので、気圧でいえば、ここは低気圧中の低気圧である真空状態になり・・・」


全知全能でありながら知恵が湧き上がらずに、意識世界までが闇の状態、透明で無の状態になるのです。


神様のみで得てきた喜びは、三次元からは想像することも出来ない超越次元、無限の喜びの境地です。しかし、それを超える喜びを求めた状況に至った段階は、全知全能の絶対者として顕現させることのできる無限の喜びを超える境地でした。


形状のエネルギーが存在を無にすることによって、神様の意識世界に無限の喜びの存在圏が顕現していました。私たち人間は、主体対象の二性性相で成り立つ世界に生きてきましたから、なんなく対象の存在を発想できるだろうと思うかもしれません。


しかし、神様のみで存在していた段階では、神様が対象として覚醒する形状のエネルギーは、存在を無にしてこそ神様自身の存在が成り立っていたのです。


この無限の神様には、自分という概念もまだありません。主体と対象という概念が想定できなければ、自分という概念も他者という概念も無いのは当然のことです。


無限の喜びを超える喜びを求め、知情意の機能が働かなくなった状況に至っても、喜びを求める情的衝動は湧き上がってきます。そして意識世界は完全で絶対的な無の状態になった段階で、無意識世界から湧き上がってくる情的衝動が、エネルギーそのものとなって顕現するのです。そこで神様は、自分が存在する為の心の動機を目の当たりにするのです。


神様が心の眼で見たのは、自分の存在の真っ芯にある心の動機と、その動機から湧き上がって来る喜びを求める情的衝動なのです。それまでは存在を無としていたエネルギーでしたが、情的衝動を通して動機まで顕現した時に、神様の知情意の展開を完全具現性をもって顕現させていたことが実感として響いて来たのでした。


この状態を三次元世界に例えるならば、初めて自分の姿が鏡に映し出されたような状況だと例えることが出来るでしょう。自分の心の姿、つまり心の動機が映し出されたことにより、相対という概念が神様の心に生じたのです。つまり、対象の存在に覚醒し、自らが主体の位置にたって考えられる状況が出現したのです。そこで、エネルギーが持つ性質であった完全具現性を、相対の絶対服従性と受けとめることが出来たのです。


対象の喜びが主体に対して絶対服従する事にあると覚醒すると、その対象の性質は、神様自身の性相の根底にある性質だと悟られたのです。神様は主体の位置への覚醒のもとに、対象を愛したくてたまらない心情が突き上げてきます。その愛の心はどこから来るかと言えば、互いが愛に絶対服従して愛し合う事だと悟られたのです。


自分のことを忘れ、対象の為に全てを投入する愛こそが、真の愛なのです。


  **1990年2月3日真のお父様のみ言「統一教会員の道」より抜粋引用**


 真の愛の本質とは何かといえば、自分を忘れて投入する愛です。神様が天地を創造されたのは、自分のために創造されたのではありません。神様のために創造されたのでもありません。原理では、神様のために創造されたと言っていますよね?さらに一段階上がって、万物の創造は神のためではなく、神の愛のために創造されたのです。それは違います。「神のために創造した」と言ってはいけません。


 神の愛と神との関係はどうでしょうか?どちらが先なのでしょうか?二つの世界がありますよね?宇宙の根本は愛から始まりました。神はどのようにして生まれたのでしょうか?どう説明しますか?愛が中心ですか、 神様が中心なのでしょうか?どちらでしょうか?「愛が中心です」愛が中心です。ですから結論として、絶対的な神様でさえも、絶対的に服従したいと思う理想郷を持たなければならないということです。わかりますか?完全に服従することの中に完全な幸福があり、同時に完全な解放があるところに、完全な幸福があるのです。


―(略)―


 さて、真の愛はどこを通るのでしょうか? 直線距離を通ります。上におられる神様の愛が地上に降りてくるには、垂直線に沿ってやってくることになります。そこは影さえもない無心境 、絶対無私という場所です。零点の場所を見つけなければ、垂直圏に投入することは不可能です。そうなると闇が生じてしまいます。ですから、神がおられる場所には永遠に闇がありません。直線距離を通過するため、垂直に対する90度以外の道はありません。これらをつなげたものが理想的な球体です。ですから、上は下に合い、下は上に合い、右は左に合い、左は右に合うことになります。したがって、これを理想的な結着点であると結論づけても差し支えありません。そのため、球体のすべての力は、この一点を無視しては通過することができません。これを無視した場合、球体そのものが崩壊してしまいます。


 神はどこにおられるのでしょうか?宇宙の真ん中におられると言われますね、宇宙の真ん中?宇宙の真ん中とは何でしょうか?被造物の中心は人間、すなわち男と女です。神はどこにおられるのでしょうか?心の真ん中におられます。


 神が存在し得る中心点を軸として、「私」も垂直軸を中心に回るようになっています。わかりますか? このような垂直軸を中心に回ることができる愛の実体となったものが、主体としての男性と客体としての女性です。この二人が神の理想的な垂直圏で一つとなり、互いに抱き合えば、引き離すことはできません。回ります。なぜ回るかというと、球体の全表面をすべて占領したいからです。どういうことか 分かりますか?球体の表面積をすべて占領したいからこそ、それを中心にして回るのです。回るようになる愛によって、すべての表面体が自分に結びつくことができます。それは愛の属性において、自分のものになることができます。それによって宇宙が自分のものになるのです。分かりますか?


  ***


真のお父様は1990年1月12日のみ言と、2010年4月4日のみ言の中で、神様が真の愛に覚醒する瞬間を「比喩と象徴を用いた詩的文体のみ言」で語られていたのです。


神様は対象の存在に覚醒され、内的性相が主体となり、内的形状が対象となって循環作用が起こるのです。その循環作用にエネルギーが働けば、神様自身に中心が生じて、真の愛の球形運動が発想されるようになるのです。


次回、もっと深めていきましょう。ここで解説している内容は、真のお父様の詩的文体で表現されたみ言に込められている内容です。菅井が神様の本質に入っていると主張し、キリストの如く語っていると批判する方々が多くいますが、キリストである真のお父様が地上に残されたみ言を解釈しているにすぎません。


深めていけば深めていくほどに、お父様の聖霊は菅井を導いて下さるでしょう。どうどうと前に進みましょう。



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真のお父様のみ言は年代を超えて共鳴し合い意味付け意義付けし人間の知情意を超えた次元に導く!

諸星くると

先回記事末部より


私・菅井は神様が一人で存在していた段階での形状のエネルギーを、自存エネルギーあるいは存在エネルギーと呼ぶようにしています。その段階のエネルギーも作用エネルギーと構成エネルギーで、性相の知情意の思考を意識世界に顕現化させていたとみています。構成エネルギーが質量を作らずに、意識を構築していく役割をしていたと見ることが出来ます。


神様が一人で存在していた段階では、神様の思考による意識世界が、神様にとっての存在できる環境圏なのです。神様の知情意を意識上に顕現化させることがエネルギーの働きであり、心の動機を形成するのもエネルギーの働きによるものです。神様の無意識世界も、エネルギーによって形成されています。


つまり、神様の原力としてのエネルギーは、情的衝動を起こさせ心情を形成していく働きを持つものなのです。その無意識世界に潜在していた情的衝動力とその動機が、神様にとっての対象を覚醒させる為に、重要な役割を果たすのです。


神様が対象の存在に覚醒して、初めて球形運動の授受作用が始まり、物質の質量を形成することが出来るようになるのです。


初めから前段階エネルギーを、物質のもとになるものとしか受け止めることが出来ないのであれば、神様の誕生の経緯や、真の愛の起源は理解できないものになってしまいます。


三原氏や堀勇一氏の解釈違いが多数ある中で、もう一つぐらい理解の甘さを指摘してあげようと思いましたが、かなり長文になっていますので、この辺で今回の記事は終わりたいと思います。


この記事の最後となりますが、真のお父様が神様の誕生のみ言を地上に残されました。性相と形状において起こった現象を、比喩と象徴の詩的文体で語られました。神様の誕生において、その結実として見出したものが神人愛一体理想です。


ですから、真のお父様のみ言について精誠を尽くして研究すれば、二代王様が忠告してくださった「特定できない場所に行き着くことになる」のではなくなります。真のお父様が、祝福家庭に示してくださった天一国の起点に至ることが出来るのです。真のお父様も二代王様も、そこに至ることを祝福家庭に願っているのです。


  *****


真のお父様は祝福家庭の全ての夫婦、氏族メシヤ王王妃達となるべき食口達が、真の愛の起源に辿り着くことが出来るように配慮してくださいました。本来は2013年2月に行われた基元節までに、祝福家庭一人一人の責任分担で、真のお父様の願いを悟り、真の愛の起源地に辿り着くべきだったのです。起源地と表現しましたが、神様の心情圏に「真の愛」のコンセプト(概念)が確立された起点を意味しています。


それまで、真のお父様と亨進様は、二人三脚と言えるほど一体となりながら、祝福家庭を導こうとしていたのです。


二代王様が家庭連合の世界会長だった2012年1月29日のみ言で、「夜の神様昼の神様」のみ言の真意を理解することが出来なければ、「全ての統一家は無価値な存在になる」のだと語られています。


2012年1月29日文亨進世界会長のみ言「夜の神様昼の神様」

【私たちがこのことを正確に知らなければ、私たちは祝福家庭の真正な価値を知ることができません。いや、祝福家庭の価値が無価値なものになり、さらに、二世、三世を問わず、私たちの誰もが価値のない存在になってしまいかねません。真の父母様の価値について十分に理解することができなくなると、全ての統一家は無価値な存在になるからです。】


そのみ言の中で、「夜の神様昼の神様」の様相を理解できる内容を語っている部分が、次のところです。


2012年1月29日文亨進世界会長のみ言「夜の神様昼の神様」

【超越的な神様として全ての万物を創造なさる前、時間と空間が始まる前の無の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様が「夜の神様」であられるのです。そして、有の状態、歴史が始まって、時間と空間を創造した後の動きの神様、摂理の神様と呼ぶことができるその存在がすなわち「昼の神様」なのです。】


昼の神様は「動きの神様」「摂理の神様」と語られていますが、これは神様の形状のエネルギーの働き方・有り方を理解して、初めて昼の神様の様相を把握できるようになるものです。この内容をさらに深めて、二代王様は最近になり、創造のないエネルギーとしての聖霊について語られました。つまり、動きの神様としての昼の神様は、創造のある(創造する)エネルギーと創造のないエネルギーによって成り立っていると言えるのです。


前段階エネルギーを、物質のもととなるエネルギーとだけ捉えたりすることはできないということです。そのように捉える方は、聖霊が理解できなくなります。


夜の神様においても、何ゆえに「夜の暗闇の状態」「見えない神様」の状態なのかは、エネルギーの働き方・在り方を理解しなければ腑に落ちるものとはならないのです。


「夜の神様」が夜の暗闇の状態で、見えない神様であることを、真のお父様は次のように表現されています。


2010年4月4日真のお父様のみ言

 太陽があれば、太陽にも月暈(つきがさ)のようなものがあります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本に月暈がなければ、解説できません。(日暈=ひがさ・ハロ現象)

 闇があれば、その闇の群れがあるのです。真っ黒な闇の群れが光の色です。闇と光は同じです。闇の群れとは何かといえば、光だということです。こんな話は初めて聞きますね?

光はどこから出てくるのか?七色を合わせると黒色になります。光は闇の何なのか?闇の何だと言うのですか?「群れ」です、群れ。どんな物や光彩にも「群れ」があります。それを知らなければなりません。

 今後、理想世界はどうなるのか?二者が合わされば、闇でもなく昼でもない、水平線に太陽が昇る前にすべてが見えるのと同じです。

  ***


一人でおられた神様の形状のエネルギーを、真のお父様は光に例えて語られています。光は反射する物体(気体・液体・個体)が何もなければ、真っ暗闇の透明になるのです。まさしく無になるのです。


神様の喜びを得たいという衝動力によりエネルギーが起こり、性相の機能である知情意にエネルギーが作用することにより、神様の思考が展開するようになっていました。その神様の思考が無になると、知情意の機能は働かなくなり、神様は無の状態になるのです。


2010年4月4日に真のお父様がこの内容を語られたことにより、1990年1月12日に語られた「あちらとこちら」のみ言の真意が理解できるようになるのです。


宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 3)宇宙の根本は愛である ①宇宙の中心は愛である

 神様が天地を創造される時、どのようにされたのでしょうか。神様の相対になることができるのは、人しかいないのです。それで、自分を100パーセント投入されました。それでは、知恵の王なのに、なぜ投入されたのでしょうか。完全に投入して神様はゼロの位置、無になり、あそこは120になるので、気圧でいえば、ここは低気圧中の低気圧である真空状態になり、あちらは高気圧になるので、ひゅーと循環作用が起きて自動的な発展原則、自動的な運動原則を追求します。それで、絶えず押し込めば、こちらは巻き込むでしょう。自分を包囲するそのようなことが展開するのです。それは何をもってですか。愛をもってするのです。宇宙の根本が愛なので、このような原則により、このように展開されるのです。(196-322, 1990.1.12)


神様の性相が「こちら」と表現され、形状が「あちら」と表現されています。性相のこちらが無になって、形状のあちらが120になったと語られていますが、形状のエネルギーの状態を表現しています。つまり、性相の知情意の機能が働かずに無の状態になって、その透明な果てのあちらに、こちらと表現された性相に潜在していた無意識世界の情的衝動が、形状のエネルギーによって顕現化したということです。


形状のエネルギーは、性相が無の状態になるまえは、神様の意識世界に展開させる知情意による思考展開を顕現化させていたのです。それで神様は自分の意識を確認し、存在する環境圏となり自分自身の喜びとなっていたのです。ところが、知情意の機能が働かなくなって、意識世界が無の状態になると、込み上げてくる情的衝動ばかりが溢れ出し、エネルギーとして顕現化するので、神様が120となって顕現化したエネルギーを、あちらと捉えたのです。つまりそのことにより、相対の存在に覚醒したのです。


エネルギーの根源・根本・原点は神様の喜びを得たいという情的衝動です。物質ではありません。ここが理解できないと、真のお父様のみ言の解釈の全体が崩れてしまうのです。


真の愛のコンセプトに対する理解も、物質的なものとなり、三次元世界の概念に拘束されたものとなります。


真のお父様のみ言は、見事なまでの詩的表現で語られたものです。それが年代を超えて繋がり合い、共鳴し合って、言葉で表現できる内容を超えた意味合いや意義が浮かび上がってくるのです。


真の愛に覚醒した瞬間を、1990年1月12日のみ言では次のように表現しています。「ひゅーと循環作用が起きて自動的な発展原則、自動的な運動原則を追求します。」


このみ言に対して2010年4月4日のみ言では、循環作用から発展する運動原則を「日暈(ひがさ)月暈(つきがさ)」と比喩しています。神様は主体と対象の授受作用による球形運動から愛の展開に覚醒し、そこから真の愛へと心情世界を昇華させていくのです。


真のお父様のみ言は、語られた年代を超えて共鳴し合い、意味づけ意義付けし合いながら人間の知情意の世界を超えた次元に導いていくのです。



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