真の父母様の本体論

キリストによる三大王権を中心として展開する天一国の真理真相解説

お父様の聖霊を迎え136億年を越え遥かな超越的事象を理解しようとしているのです!

先回記事重要部分


このみ言の最も重要なテーマは、「愛によって生まれた」と語られた部分よりも、その直後のみ言にあります。


「宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。」


愛によって生まれたことから、「神様自体が性相と形状によって構成されるようになった。」と語られているのです。


つまり、愛によって生まれる前は、「性相と形状という構成」にはなっていなかったという事です。これはどういう事でしょうか。


たった一人で存在していた神様は、存在の喜びを得るための授受作用は本性相、つまり心の内で完結していました。原理用語で解説すれば、本性相の内的性相と外的形状の授受作用という事になります。授受作用によってエネルギーが働き、無意識世界から意識世界に構想が展開されるということになります。


この作用するエネルギーは本来、本形状から来るものです。その本形状が、神様が愛によって生まれる前は、どのような状態であったのかが理解できれば、真のお父様が伝えようとしているみ言の真意が見えてくるのです。


次回、たった一人で存在していた神様の本形状は、本形状自体の形状を持たない「虚無」の存在であったことを解説していきます。


  *****


創造前の神様を理解するために重要な部分ですので、先回記事で解説した内容を再度取り上げます。


  **先回記事より引用開始**


たった一人で存在していた神様も、喜びを得るために存在していました。その神様に喜びを与えてくれる対象は存在することが可能なのでしょうか。


自己中心的な神様ではありましたが、その神様にとっての喜びは、自己の構想する知情意の思考展開が、そのまま実現し顕現した無限環境圏となります。自分にとっての真・美・善を、意識世界に自己投影して出現する、無限環境が対象となっていました。つまり、対象は自分の喜びを得るための理想が投影されたものであり、神様の中で主体と対象が完結しているのです。喜びとなる対象は、自分自身が投影され、意識世界に描かれた自分自身なのです。


人間に例えるならば、自分の想像の中で、夢を実現した状況を思い浮かべ、満足感を得ているようなものです。人間はその夢を現実世界で実現して、初めて喜びとなります。ところが自己中心的な神様においては、思考展開し情念が沸き起こる意識世界こそ、神様にとっての現実です。そこで喜びは、実感となっているのです。


つまり、神様の本性相の無意識世界と意識世界において、存在の喜びは完結しているのです。それでは、無意識世界から意識世界へと、神様の喜びを得るための構想が、何をもって意識世界へと立ち昇り、喜びの実感となる作用が展開しているのかという事になります。


その作用は、のちに本形状と呼ばれるようになる前段階エネルギーによって為されています。神様が本性相と本形状の二性性相の様相になるのは、神様が愛によって生まれてからです。


  **引用終了**


自己中心的な神様は、自分自身の喜びの実現のために、全知全能の限りを尽くして喜びを得るための構想を立て、その構想を無意識世界から意識世界へと、知情意の思考展開により浮かび上がらせていました。


かつて真のお父様が地上におられた時に、亨進様の「何次元の世界まであるのか?」という問いに、「八次元まである。」と答えられていました。創造後の三次元世界が現れる前は、八次元世界と言っても、その次元ごとの境界は無かったでしょう。ですから、神様は自らの喜びの構想を無限次元世界に顕現させ、そこに展開される千変万化の真美善の境地を楽しんでおられたのです。


無意識世界から意識世界へと、自分の思考展開や情念の流動を起こすにもエネルギーが必要です。そのエネルギーは、喜びを得ようとする情的な衝動から溢れ出てきます。統一思想の用語でいえば前段階エネルギーとなるでしょう。喜びを得ようとする情的な衝動によって展開される思考と意志に従って、絶対的な相対基準を造成して活動展開します。


喜びを得ようとする目的を中心として、本性相の思考展開に絶対的相対基準を造成し、本形状の前段階エネルギーは完全一体となって授受作用し、神様が構想した喜びの境地を無意識世界から意識世界へと投影するようになるのです。


この授受作用において、前段階エネルギーの働きを神様が感じるようでは、神様の喜びを得る境地の構想は実現することはできません。ゆえに、エネルギーの存在感は、神様にとって絶体無でなければならないのです。エネルギーの存在は分かっていますが、意識にかすめる基準でも、顕現させる真美善の境地に違和感が生じるのです。ですから、エネルギーの存在は、無意識世界の最深奥に潜在する状態で、意識世界では絶対無の状態になるのです。


つまり、神様がたった一人で存在していた段階では、本形状のエネルギーは本性相における思考展開・情念流動のままに、本性相の作り上げる構想を絶対服従性を持って顕現させるのです。形状と呼ばれながら、本形状自体の形状は存在しないのです。


この形状を持たない本形状に、本形状自体の形状が備えられるようになったことを、真のお父様は「神様自体が性相と形状によって構成されるようになった。」と語られたのです。


それではなぜ神様は、無意識世界の最深奥に潜在させ、無い状態になっていた本形状の存在に心を留め、さらに本形状自体の形状を持たせることを思いついたのでしょうか。


そのきっかけは何かといえば、無限大の神様を包み込んでくる感覚なのです。真のお父様は「宇宙の根源」について、次のように語られています。


宇宙の根本 第二章人間創造と愛の理想の完成一、愛の絶対価値1.人間の男性と女性
 神様の愛と人間の愛がいつ一つになるのかということが問題です。これが歴史的な問題であり、宇宙創造以降の重大な問題です。これが解決されない限り、宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。真の愛を中心としては、神様は核の位置に立たなければなりません。それでは、アダムとエバは何でしょうか。アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。皆さん、くりのようなものを見れば、二つのかけらになって胚芽を包んでいるでしょう? それと同じように、神様を核として、男性と女性が愛を中心として完全に一つになるのです。


「宇宙の根源が解決されない限り、絶対に結果が解けない。」と語られながら、創造期間136億年の愛の結実である、アダムとエバについて書いています。


アダムとエバは核を包み込む二つのかけら同じということは、二人が結ばれる時のことを表しています。アダムの生殖器は夜の神様の生殖器ですから、その生殖器がエバの生殖器に包み込まれることを意味しています。簡単に表現すれば、神様が包み込まれるという事です。


アダムとエバの初夜において、神様の四大心情圏が完成しますから、対象としての被造世界における愛の結実です。これが創造の結果であり、この原因となった出来事にこそ、宇宙の根源があるという事になります。


そうすると、無限大の神様をさらに超越して、たった一人の神様を、包み込んで来た存在があったという事になるのです。神様をさえ包み込んで来た、その存在は何なのかという事になるのです。


神様以外に、何の存在もありません。無であるのに包み込んで来たと、神様が感じ取ったのです。神様は絶対無から、包み込まれる感覚を得たのです。無限大の神様を包み込んでくるものなど、あるわけがないにもかかわらず感じ取ったのは何故なのか。


包み込まれるという感覚は、三次元世界のものです。三次元世界において包み込まれると表現されるような、神様のそれまでの概念には無かった情的感覚が、神様の意識世界で覚醒されたのです。


私の記述に、じれったいと感じる方もいるでしょう。宇宙創造期間136億年を越えて、さらなる時空の彼方の出来事を理解しようとしているのです。それも三次元に拘束された人間の体験と思考回路から、それを導きだそうとしているのです。私一人には、とてもできないことです。


だからこそ、神様の心情世界、無意識世界を教えてくれる真のお父様に学ぶのです。自分の観念や概念で理解しようとすると限界があります。自分を無くして、悔い改めをもって、お父様の聖霊に聞いてみるのです。



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