真の父母様の本体論

キリストによる三大王権を中心として展開する天一国の真理真相解説

第二巡目ズーム勉強会第8回「神様は男女の生殖器をどのようにして構想したのか!」


夜の神様は真の愛を顕現させるために、男性と女性が四大心情圏の成就により心情一体となって結ばれる器官を構想しました。凹凸の生殖器です。


この形状に込めた夜の神様の思いを知る時に、私たちは真の愛の真髄に触れることができます。


「本然世界に展開する真の父母様の本体論」入門編より、第8回ズーム「本体論」勉強会で解説する部分を引用します。


  *****


第3章 真のお父様の精子と絶対性
1.夜の神様は青年期から成人へ向かい男女の生殖器を構想する!


 自己中心の神様から、対象と愛し合いたいと願う神様に成長したきっかけは何だったでしょうか。神様の本性相の核心である心情が、本形状のエナジーに包容されていると自覚した実感です。故に神様は本形状のエナジーを包み返したいと願ったのです。ところが、神様と同じ見えない触れえない存在として創造しても、霊的な存在として創造しても、そこに包容し合う実感は生じないのです。


 生素とは神様の「真の愛で愛したい衝動」によって発動される愛そのものが「生素」となります。その「生素」を、神様自身が「愛したい衝動」の根底に、「真の愛に絶対服従して生きたい衝動」があると自覚することによって、自ら吸収して「真の愛の根源者」として、見えない胎内から夜の神様として誕生することになったのです。


 神様自体内では、心情を中心とした対極にある動機から溢れる衝動が授受作用し、成長することが可能になりました。しかし、神様自身と同じ様相で、見えない神様触れえない神様として愛する対象を創造したならば、愛し合っても実感とはならないのです。それどころか、気が狂ってしまうとさえ真のお父様は語られています。


 夜の神様が絶対主体の位置から、絶対対象に立つ昼の神様として、神様と同じ様相で形象的実体女性分野を抜き出し創造したとしたならば、どのような状況が展開されるかを、真のお父様は語っています。


真の神様 第一章 神様の本体 一 神様は無形の主体であられる 
 神様が愛することができる相対は、私たち人間しかいません。被造物の中で、神様自身がまた別の神様を造ることはできないのです。どうしてですか。全知全能なる神様なので神様と同じ、もう一つの神様を造るだろうと、それも可能だと思いますが、神様がそのように造ればどうなりますか。同じ神様が御飯を食べるとき、一緒に御飯を食べ、手入れをするときは一緒に手入れをして、立つときは一緒に立ってついて回りながら、神様が座れば一緒に座り、このように億千万年一緒に行動するならば生きていけますか。考えてみなさい。どんなに気が遠くなるでしょうか。一日もたたないで目が回ってひっくり返ってしまいます。また、話はどうしますか。話をすれば何日話すと思いますか。三日間ですか。「あれ、あの、同じではないか! 死にそうだ」と言うでしょう。


 このみ言も、私たちが少しでも理解できるようにと、比喩で語られたものです。互いの思考や心情が、展開されるその瞬間瞬間の連続の全てが、相手にその如くに伝わってしまう、質的に対極にある思考や心情が入り乱れて、まさに目が回ってひっくり返ってしまうような状況になるというのです。


 そこには包容し、包括する真の愛の世界は展開しないのです。互いに包容し合い、真の愛を実感する世界は、見えない神様、触れえない神様の本性相と本形状において、属性である陽性陰性の質の違いで展開する霊的世界では実現不可能なのです。そこで神様は、陽性陰性の素材(質料)的要素と無限の形態を取ることのできる可能性(無限応形性)を応用展開して、物質による三次元世界の構想を立てるのです。


 夜の神様は、御自身が見えない胎内で成長できるようになった「生素」の授受作用を、そのまま三次元の被造世界に移し応用展開し、アダムとエバを創造したというみ言の締めくくりになっているのです。


「それで、これを実体圏に移しておくためのアダムとエバの創造であったということです。分かりますか?」


 見えない胎内で成長した夜の神様における「生素」の授受作用を、夜の神様の女性格対象として創造した被造世界に展開したのです。絶対主体である夜の神様から発動される「生素」は、全ての万物を巡って、最終的にアダムとエバの生殖器に結実するようになっています。それが霊界システムの持つ機能であり、四大心情圏がアダムとエバに成就する為のシステムとなっているのです。


 そこでいよいよ、アダムとエバの生殖器の構想理想を解説しなければならないのです。


 真のお父様が骨に例えたのは、夜の神様の本性相であり、皮や肉は本形状でした。同じ骨でもあばら骨は、生命の成長と存続を維持する全ての機能を包容し守っている重要な部分です。アダムのあばら骨を取り出してエバを創造したとは、本性相に対して絶対服従して働いていたエナジーとしての本形状の様相を、三次元の被造世界に展開したものなのです。


 つまり男性アダムは、神様の本性相の様相そのままに形作られ「愛と生命の種」を持っています。これが夜の神様の全要素が入っている神様の精子となります。女性エバの生殖器は、アダムから受ける「愛と生命の種」を、三次元の被造世界において誕生させ、成長させることの出来る全ての要素を備えた形に作られるということになったのです。


 それで、精子(神様の精子)と卵子と、それぞれに作り出す生殖器の構造が構想されるのです。


 夜の神様は自分の意思と心情だけでは、真の愛に絶対服従して生きるという親の心情に至れませんでした。そこには心情に同化して存在させてくれている内的愛のエナジーがあったのです。夜の神様はその愛を実体化して現出させようと構想しました。その存在こそ、神様の愛の対象となる女性であったのです。つまり、神様の心情を核心とする本性相を男性格として具現化し、本形状の内的愛を女性として具現化するための構想理想を立てたのです。心情には原理に則った知情意をはじめ、本性相の全ての要素が具備されています。意思や情の働きを持たない内的愛(前段階エネルギー)を実体化するにあたって、対象に立とうとする要素(真の愛に絶対服従して生きたい)を形象的実体女性分野とし、新たな個性真理体として創造することにしたのです。


 神様の心情において愛と生命の種が結実したのは、神様一人でいた時には自分のみを照らし出していた愛のエナジーが、良く受ける作用(絶対服従性)を持っていたからです。そのエナジーを現象化実体化させた女性の個性真理体に、愛と生命の種を受けて宿す生殖器として、男性の生殖器を包み込む形で組み込むことを構想しました。包み込む様相にこそ、形象的実体女性分野への性相的プラス内容があるのです。


 神様御自身としての男性の生殖器は、その女性の生殖器の構想理想を前提として、本性相そのものとして具現化されるべき様相や機能に、全てを包括する性相的プラス内容を添えて、再構築を重ね完成させたのです。


 なぜ、主体であり、神様そのものである男性の生殖器が、女性の生殖器を前提として再構築されたのでしょうか。


 もちろん、互いに包容し包括するという性相的プラス内容があるからですが、天聖経の「宇宙の根源」に、生殖器の主人がお互いに入れ替わったと語っているお父様のみ言があります。


第2章人間創造と愛の理想の完成4)生殖器は最高の神秘、最大の関心事②生殖器の主人がお互いに入れ替わった
 男性の宝物は、男性自身はもっていません。男性の宝物は女性がもっていて、女性の宝物は男性がもっているというのです。取り替えてもっているのです。女性のセクシュアル・オーガン(生殖器)は女性のものではありません。男性のものだということを知らなければなりません。自分のものではありません。男性も同じです。したがって、自分の思いどおりにできないのです。米国の女性たちは、自分がもっている生理的五官が自分のものだと思って自由に行動して、ありとあらゆることをします。男性たちもありとあらゆる行動をします。皆さんは管理人です。管理人が主人のように振る舞っているというのです。


 真の男性は変わってはなりません。真の女性は変わりません。真の愛を中心として、絶対的に変わらない男性と絶対的に変わらない女性をどこで探し出すのですか。そのような人々が出てきたとすれば、宇宙全体がその前にすべてひざまずくようになります。そのようになるのです。神様は知恵の王であられるために、男性の宝物は女性がすべて大事に保管するようにし、女性の宝物は男性がすべて大事に保管するようにしました。生殖器官がそうです。


 人間が生まれた目的とは何ですか。愛の道を訪ねていくためです。それで、男性と女性がもっている生殖器官は、自分のものではありません。男性についているものは、男性のものではありません。ところが、これを自分のものだと思っていました。女性についている生殖器官の主人は、女性ではありません。その主人は男性です。そして、男性についている生殖器の主人は誰かといえば、女性だというのです。このように、愛の主人を取り換えて配置したという驚くべき事実を知らなければなりません。(143-66,1986.3.15)


 このみ言の最初の段落では、男女の「生理的五官」において、互いの愛の喜びの為の性的感覚器官を、それぞれの宝物として入れ替えたと読み取れます。このことに関する他のみ言も全てそのように受け取れますが、しかし、引用した次の段落のみ言では、互いの生殖器官を宝物として入れ替え、保管するようにしたと語られています。


 このみ言から理解できることは、実は男性生殖器が、本形状のエネルギーの創造力を象徴する対象格の女性が主人なのだということです。対象である女性が男性生殖器の主人として、男性の持つ夜の神様の性質の全要素を、絶対服従性をもって神様の精子として作り出す機能を施した形を取るのです。その神様の精子は、女性が主人の「男性器」から、男性が主人の「女性器」に射精され入って行きます。


 そして、男性が主人である女性生殖器は、夜の神様そのものである精子から、それぞれの個性をもつ子女の生命を誕生させるのです。女性は神様から託された神様の精子を、男性が主人である自分の生殖器で、生命として誕生するまで管理するのです。


 つまり、一人一人の息子娘の個性は、神様が主人としての真の愛で作り出すのであり、その一切の過程を、女性が真の愛に絶対服従して管理するということになるのです。


 本来は、主体である神様自身が、息子娘の個性まで創出してあげることが親としての愛ではないでしょうか。しかし、神様はその為の機能を女性の生殖器に与えたのです。それは何のためかと言えば、男性も女性も「真の愛」に絶対服従して生きたい心情を体得することによって、それぞれの生殖器に、神様が入れ替えて与えた宝物としての機能を、そのごとくに発揮できるようにするためなのです。


 他の何ものをも意識していなかった神様が、それ自体では無の存在であった本形状から包み込まれた感覚を得たことから、真の愛が神様の心情に浮かび上がりました。ですから、本形状を具現化した女性器が備える包容してくる生理的五官に合わせて、男性器の生理的五官を再構築し、その喜びの衝動から、自らの心情も女性の心情も包括できる真の愛の実体となれるように構想を完成させたのです。それは、二人ともが真の愛に包み込まれることを意味します。


 その上で、生殖器の機能においても、真の愛が形状として具現化した生殖器とするために、本来は主体が備えるべき、一人一人の息子娘に個性を与える機能を、対象の女性の生殖器に賦与したのです。つまり、女性の生殖器が個性を与える機能を持つことを前提として、女性が主人となる男性の生殖器を再構築したということになるのです。


 生殖器の持つ生理的五官においては、女性器に合わせて男性器を構想したと言えますが、生殖器官の繁殖作用においては、女性の生殖器が息子娘に個性を与える機能を備えさせる事を前提として、男性の生殖器を構想したと言えるでしょう。


 なぜそのようにしたかと言えば、神様が愛より生まれて覚醒したと同じように、全ての息子娘を真の愛から誕生させてあげたかったからです。その為に、神様とアダムとエバが、真の愛を中心として統一が展開する為の生命の出発点となるのです。天聖経に、そのことこそが宇宙の根本であると記されています。


第二章人間創造と愛の理想の完成 1)愛の絶対価値 ①人間の男性と女性
 二人が一つになるには、何を中心として一つになるのですか。神様を中心として一つになるのではありません、男性を中心として一つになるのではなく、女性を中心として一つになるのではありません。神様とアダムとエバが真の愛を、絶対的愛を中心として統一が展開するのです。これが宇宙の根本です。簡単です。神様も、愛がなければ孤独な神様です。


神様自身も真の愛の中に入る為に、男女の生殖器の、その主人を入れ替え、真の愛を中心とした生殖器としたのです。




お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村