天一国心情圏ブログ

天宙平和統一国の指針!真の父母様の本体論と絶対性教育により天一国市民の資格を得る!

私達は神様が創造した宇宙でみ言と生素を吸収し聖霊を迎え実践し霊的肉的五感両面で完成に至る!

諸星くると

三原氏の4月20日記事「『高キリスト論』から見る自己中心的神と四大心情圏」に対するアドバイス記事も、4回目を数えることとなりました。


真のお父様のみ言を変容させ悪用しての記事ですから、見過ごすわけにはいかないでしょう。堀氏も自分では二代王様の本質的指導も理解できず、菅井の提唱する「真の父母様の本体論」も理解できていないので、三原氏の菅井批判に頼るしかありません。


堀勇一氏は、むしろ理解していないので、罵詈雑言でしかない誹謗中傷の言葉を、次から次へと思い浮かべることが出来るのでしょう。


三原氏は、「たった一人でおられた自己中心的な神様の時から、『為に生きる思想』をもち『四大心情圏の愛』を持っていた」と主張するために、真のお父様のみ言の意味をgoogle翻訳を悪用して違う意味にしてしまいました。


その三原氏の、4月20日記事の菅井批判の結論的内容が次の文章です。


*三原氏4月20日記事「『高キリスト論』から見る自己中心的神と四大心情圏」より*


 このように菅井教は、犠牲の愛、アガペーの愛、為に生きる愛、四大心情圏の愛、全て「肉的五感の感覚的刺激」よって初めて生じ完成する、エバとの初夜がなければ犠牲の愛なぞ無いと主張し、

 イエス様の宝血の心臓を突き刺して

「どうだ痛いだろ?エバとの初夜も迎えられず四大心情圏もなしていないお前なんぞに、アガペーの愛、父親の犠牲の愛なんぞ無いんだよ!そうだよなぁ、イエス!あはは」

と、その宝血の心臓をこねくり回し、イエス様の十字架の死を嘲笑う極めて悪質な「低キリスト論」の信仰だからです。


 それだから、エバとの初夜がなければ犠牲の愛も無い、真の父母も無い、真の父も無いとするこの菅井教の、キリストによる救いの主張は、

 文鮮明師に原罪があり、韓氏オモニによって原罪を贖われたとする「韓氏オモニの独生女論」より酷い独生女論であるというのです。


  ***


人間は赤子として生まれ、自己中心的であることで守られ育まれ、親の愛と他者の愛を受けながら、他者の為を思い生きようとする心は成長していきます。


イエス様も神様の精子を持ってお生まれになられましたが、なぜ母胎から産まれなければならなかったのでしょうか。胎内に孕まれた時から、イエス様の生心には夜の神様が臨在しておられ、イエス様の実感する霊的五感肉的五感を共有して成長されます。


なぜ神様は、体を必要とされたのでしょうか。創造前の対象がいない段階で、主体対象の愛の関係性は、神様の構想の中だけで構築されました。その構想理想を、アダムの体を通して実体験しながら、神様も成長するのです。つまり、構想理想として描いた内容が、地上世界を通して実感となり、神様においてもアダムにおいても体恤していくことになるのです。


アダムが堕落した時点で、神様はそれ以降の夫婦の愛・父母の愛を実体験できないまま、構想理想として残っているということです。イエス様の体を通して、再び神様の四大心情圏を実感体恤し成長するようになります。


三原氏はアダムがエバとの初夜によらなければ、犠牲の愛も無いと菅井が説いていると批判していますが、それは彼の思い込みに過ぎません。為に生きる愛、犠牲の愛は蘇生期長成期においても、親子の愛兄弟姉妹の愛の段階で体恤しているものです。


アダムとエバの初夜においては、神様がアダムの生心に臨在し、またエバの生心には聖霊として臨在し、神様御自身もアダムもエバも、夜の神様のエネルギーが生素となり、その陽性陰性が138億年間にわたり、天宙を循環して来たその生素を、完全吸収するということです。それこそが、神様が生殖器に込めた偉大な愛のシステムです。


宇宙の根本 第2章 人間創造と愛の理想の完成 2)生殖器は三大本宮、天の至聖所 

①愛と生命と血統の本宮

 頭よりも、それがもっと重要です。頭には真の愛の起源がありません。頭には真の生命の起源がありません。頭には真の血統の起源がありません。その起源は生殖器にあります。それは間違いないでしょう? 生殖器にすべてのものがあります。そこに生命があり、愛があり、血統があります。そこが愛の本宮なのです。生命の根もそこにあります。血統も同じです。人間の体だけでなく、人間世界と人類歴史を通じて最も貴いところです。それがなければ人類の繁殖が不可能です。

  

1986年3月16日真のお父様のみ言「責任分担と蕩減復帰」

 神がどこにおられようとしたかといえば、愛の至聖所におられようとしたのです。堕落していなければ、そこが神の至聖所です。至聖所が人間が作った場所だと思えますか?神が造られたものの中で、最も複雑で、最も刺激的で、最も神経が鋭敏になるように造られた場所です。そこがどのような場所でしょうか?女性の胸でしょうか?

 男と女が愛を成就できる接触部分を何と言うか?(心)その心とは何ですか?稲妻が接触するときは、避雷針の先端に接触しますよね?人のすべての神経の先端はどこですか?「さっき聖所だと教えてくださった…」あれは何ですか?(笑)それが男と女のたった一つの異なる器官です。その一点が異なるからこそ、女になり、男になるのです。それ、分かりますよね?それが何か分かりますよね?説明しなくても、皆さんよく分かっているでしょう、はっきりと。(笑)それが尊いものなのです。

 堕落していなければ、神が臨在できる、神の愛が宿ることができる至聖所だったということです。


  ***


イエス様は妻となる女性を迎えられませんでしたので、神様の構想理想として夫婦の愛父母の愛は備えていたとしても、実感することは出来ていないのです。


真のお父様はアダムとイエス様が果たせなかった四大心情圏の完成体恤を、完全に果たして聖和されました。天愛夫婦というみ言をいただいた亨進様ご夫妻と、カインアベル一体勝利を認定された亨進様と国進様によって、再臨主として果たすべき全てに勝利されたのです。


創造前の見えない神様の段階から、四大心情圏を備えており、真の愛を持っていたとしたならば、万物世界・地上世界を通すことなく、霊的世界で成就できたはずです。


真の愛の世界を実現する為には、親子の関係が必要であり、肉的世界が必要だったのです。当然、霊人体の霊的五感と、肉身の肉的五感の両方が必要だったのです。


参考までに、1986年3月16日の真のお父様が語られた「責任分担と蕩減復帰」のみ言から、アダムとエバの完成と、神様の臨在について語られた部分を抜粋引用します。


アダムの生心に臨在するのは「夜の神様」です。エバの生心に臨在するには、神様から発動される「聖霊」のことです。


  **1986年3月16日真のお父様のみ言「責任分担と蕩減復帰」**


神が最も大切だとお考えになるのは愛です


 では、宇宙における最高のものは何でしょうか。神が最も大切だとお考えになるものは何でしょうか?神にお金が必要でしょうか?お金はいくらでも作ることができます。知識でもなく、権力でもありません。神が最も大切だとお考えになるのは愛です。その愛とはどのような愛かといえば、今日の俗っぽい愛ではありません。宇宙全体が従うことができる愛、宇宙全体が恋い慕い、一つになりたいと願う主体的な性質を持ち、そのような内的な縁を持つ愛だということです。だからこそ、神の愛があるところには、誰もがそこへ行き、一つになろうとするのです。ですから、神が最も尊ぶものは愛だということです。しかし、愛というのは一人では見つけられません。神ご自身が愛であるということを、一人で発見できるでしょうか?


 先生の中に愛はありますか?先生の中にも愛はありますか?「はい」愛はあるけれど、愛することはできません。愛することができますか?自分が自分自身に対して、「ああ、私の体は美しい。ああ、可愛い。ああ、この体は本当に素晴らしい!」と言いますか?「ああ、愛に感謝し、愛の衝動に感謝する」と言いますか?


 愛は一人きりの時にも確かに存在しますが、その愛の作用は、相手が生まれる前には働きません。神様であってもできないということです。神様が最も好むものは愛ですが、その愛は一人では成し遂げられないということです。一人では愛の喜びを感じることができず、愛の衝動を感じることができないということです。だからこそ、神様は宇宙を造ることになったのです。神様が愛し、喜ぶことのできる相手として、宇宙を創造されたのです。宇宙を創造し、その宇宙の主人としてアダムとエバを創造されたのです。


 アダムとエバとは誰かといえば、神様の愛を中心として、神様の相対的な位置に代表として立てられた人々だということです。もし神様が最も好むものが愛であるならば、神様の対象者として立てられたアダムとエバが最も好むものは何でしょうか?「愛です」愛でなければなりません。したがって、私たち人間の体と心は切り離すことのできないのです。今は堕落したために分かれていますけど、本来はそうではないのです。体に「体よ、君は何と一つになりたいのか?」と尋ねれば、体は「私は神様が最も好む愛と一つになりたいのです」と答えるのです。また、心に「おい、心よ、お前は何を中心にして一つになりたいのか?」と尋ねれば、「神様の愛、神様が最も好まれる愛を中心にして一つになりたい」という答えが返ってくるのです。このように、体と心の答えが異なるはずがないのです。体と心が同じ答えを出し、「私たち二人は神様の愛を中心にして、絶対的に一つになることを願う」と答えるという結論に至るのです。


 このような体と心を持ったアダムとエバが成熟すると、互いに「あのアダムは私の兄ではないな。あのエバは私の妹ではないな。私たちは互いに兄弟ではないな」と気づくようになるのです。神様が教えてくださるのです。じっと観察してみると……。昆虫界や動物界を見て「あはっ!全部がペアだ!オスもいればメスもいるし……」と、このようにすべて教育を受けるのです。「ああ、あのようにオスとメスは互いに好意を抱いているんだな。互いに好意を抱きながら歌っている。昆虫も歌い、獣も歌い、皆がペアになって暮らしながら子孫を育て、宇宙と調和する遊びをしているんだな」と、このように学んでいくのです。幼い頃は知らなかったけれど、七、八、九、十歳を過ぎてよく見てみると……。皆さん自身もそうですよね?


アダムとエバが成熟して愛し合う時、そこに神が臨在されるのです。


 女の子はたいてい人形が好きですよね?どんな人形?将軍の人形が好きですか、赤ちゃんの人形が好きですか?「赤ちゃんの人形が好きです」赤ちゃんの人形が好きですね。子供たちをよく観察してみると、子猿の人形、子犬の人形、みんな子犬や子猿のような人形が好きなんです。人形も好きですが、人形ではなく実際に生きている子犬を見ると、これがどれほど可愛いことか分かりません。耳を見てもそうだし、目を見てもそうだし、じっと見ていると神秘の極みなんです。そうやって見ながら学ぶのです。子供が子犬を可愛がるから、その子犬は子供の手を舐めながら喜ぶんです。お互いに愛し合い、好いていることを知るようになるのです。


 さて、次に男の子は何が好きでしょうか?男の子は何が好きでしょうか?女の子は人形が好きで、男の子は何が好きですか?男の子は戦うことが好きです、銃のようなもの。それは仕方ないことです。


 エデンの園の話ですよ、アダムとエバを創った後、神様が毎日アダムとエバに食事を運んであげたと思いますか?そんなことはあり得ないのです。男というのはね、自分で食べ物を用意するために、木にも上手に登らなければならず、跳躍も上手でなければならず、力も強くなければなりません。本当に腹が減ったら、溝に行ってザリガニの稚魚でも捕まえて食べなければなりませんからね。そのためには、岩を転がしておかなければならないのですよ、ザリガニも捕まえて二人で分けて食べなければならないということです。時には小さなウサギのようなものも追いかけて捕まえるんです。追いかけて捕まえるには、ただ捕まえるだけではダメなんです。だから石でナイフを作り、鉄でナイフを作るようになったんです。そうして歴史的に言えば、石器時代だの、鉄器時代だの、青銅器時代だのと言って、すべて発展してきたんです。


 こうして銃を作って狩りをしたり、罠を作ってそういう遊びを繰り返し行うのです。つまり、男と女の活動範囲は根本的に異なるのです。


 エバが成長して15、16歳になると、「あら、あの人はお兄さんじゃなくて、私が愛する人にならなきゃいけないんだ」と思うようになるのです。エバは昔は何の感情も抱かなかったけれど、成長してからはね、アダムを兄のように親しく接しながら触れてみたり、またアダムに撫でられると気分が変わるんだって。ふーんと浮き立つんだって。風船のようにふーんと浮き立つんだって。そんなに気持ちがいいんだって。昔はただ「アダムってやつ、何が必要なんだろう?あれって…』とエバはそう思っていたし、またアダムもエバを『このちっぽけな小僧、ぶらぶらどこにでもうっとうしくついてくる!この小僧』とそう思っていたけれど、時が来ると見る目が変わり、感情が変わり、いなくなると気にかけるようになるんです。また、エバも叩き回していたあのアダムがいなくなると、『あら、どこへ行ったのか?』と探してしまうのです。こういう遊びが起きるんです。皆さんもそうですか?(笑)そうですか、そうじゃないですか?「そうです」そうか。


 最近の若者たち、ティーンエイジャーや、この若者たち、おとなしいお嬢さんたちはね、目を細めて、優雅にふわりふわりと歩いていて、向こうから逞しい若者たちがやってくると、「どこの男がいいかな」と、あっという間に見極めては、気に入らないと言うんです。「真ん中のやつはブサイク、右のやつはちょっと悪い、こっちの方がいいわね。あの人、ブサイクだけど、そんな男を一度相手にしてみたい」って、そう考えてみるんです。そうなんです。そう考えてみるのは罪じゃないんですよ。


 アダムとエバもそうやって育ったんです。成長して、目が合うべきなんです、目が!エバもアダムをじっと――見つめる時が楽しくて、アダムもエバを見る時が楽しくて、「ああ、いいわ、ああ、いいわ」と言わなきゃいけないんです。(笑)そういう目が合うべきなんです。目が合うべきなんです。目が合って遊び始めるって言うじゃないですか?目が合うべきなんです。近くに置いて見ていると、だんだん近づいていくんです。ああ、その次に、視線が合うようになればね、その次は手が触れ合いたくなるんですよ。考えがすべて一つになりたいってことになるんです。そういう時があるんですよ、私はよく分かりませんが。(笑)


 もしアダムとエバが自然にすべて成熟して、「あなたでなければダメだ、私でなければダメだ」という境地で愛し合えるようになったとしたら、どうなっていたでしょうか?神様が「おい、お前たち!大変なことになるぞ」なんて言われたでしょうか?神様はのんびりやってきて、「へへへ!すっかり熟れる時が来たな!」とおっしゃるんですよ。そう言いながら、アダムの中に入り、エバの中に入るんです。どこにでもおられるのです。アダムの体とエバの体を愛を中心にして……。


アダムとエバを通して愛しようとされる神様


 アダムは誰の体だと言うのですか?「神様ですよ」神様の体であり、エバは誰の体だと言うのですか?「神様です」アダムは神様の男性的な体、エバは神様の女性的な体です。神様を二つに分けてしまったからです。神様が分かれて生きていられるでしょうか?分かれては生きられないので、一つになるのです。何を通して一つになるかというと、愛を中心にして…。 (手を叩かれる) 稲妻が走るのです。


 雷が落ちるということ、分かりますか、雷が落ちるということ?皆さん、天気が曇って雲が多い時には、陽電と陰電が合わさって「ゴロゴロ!」と雷が光りますよね?あれは何をしているんですか?自然が、この宇宙の自然が結婚式を挙げているんです。(笑い)なぜ笑うのですか? そうやって全部見せてくれているんですよ。大地と空が空中に上がって、立派に結婚式をするために「愛し合おう! 上がってこい。降りてこい。さあさあ、近づいてこい。来い。来い…」と言ってぶつかり合って、「ゴロゴロ!」と雷が光るんです。「なるようになれ」という言葉ですよ。(笑)


 その次は無(む)に戻っていくんです。無に戻っていくんですよ、無へ。あんなに高い数億ボルトの電気がパチパチと一度音を立てたら、もう無に戻っていくんです。戻るというのは何を意味するかというと、集まってドカンと爆発する力によって、端へと戻っていくということです。戻ったのだから、また訪ねてこなければなりませんよね?訪ねてくるのに疲れず、訪ねてこられる道とは、どのような道でしょうか?愛の道しかないのです。


 「みんな別れたのだから、また探そう、また訪ねよう、また訪ねて行って、また集まろう」そうしてプラス電気が生じると、地上からマイナス電気が生じて、また「パチッ!」となるのです。こうして宇宙は動き出していくのです。神が人間を造ったのですが、何をするために造ったのでしょうか?神は何をするために人間を造ったのでしょうか?これを知らないがゆえに堕落し、これを知らないがゆえに人生の進むべき道を見失い、本郷への道もすっかり忘れてしまったというわけです。神は何をするために人間を造ったのでしょうか?「愛するためですよ」神ご自身が、アダムとエバを通して愛をしようとして造ったというのです。こんな話は初めて聞きますよね?私がこんなことを言うと、既存の信者たちは仰天して「おやまあ、異端の首領が現れた」と言うんです。(笑)あの人たちは知らないからそう言うだけで、知っていれば私よりももっと積極的に宣伝するはずなのに。


 さて、神様はアダムとエバが愛し合う時、泣いたでしょうか、喜んだでしょうか?「嬉しかったでしょう」 なぜ嬉しかったと思いますか? 神様ご自身が愛しているんです、ご自身が。神様ご自身が、神様ご自身の体であるアダムと、その相手であるエバと、分かれていたものが衝突を起こすんです。極と極が分かれていたものが、パッと一つになる、その爆発的な衝動を感じた時、神様も愛に酔って倒れ込んでしまうんです。(笑)


 まあ、こう言っても不敬な言葉ではありません。愛に不敬などありません。神様が逆立ちしてもいいし、逆さまに突き刺さってもいいということです。(笑)神様が好む愛さえあればそれでいいということです。まあ、逆さまに突き刺さったからといって神様がまっすぐに立てなくなるわけでもなく、神様が交通事故に遭ったからといって動けなくなるようなことはありません。全知全能の方ですから。だからこそ、神様は指一本で体を支え、四肢で踊ることができるんですよ。どれほど喜ぶことか。


 では、神様が愛を中心にして一度笑ったことがあると思いますか?「ありません」 私の祖母は愛を中心にして笑ったことがあるんですよ、旦那さんと出会って?(笑) なぜ笑うんですか?先生が聞いているのに、そんな風に答えたら罰を受けるんですよ。旦那さんに会って、嬉しくて笑ったことある?ない?(笑)ない?ある?聞いているのに、なぜ答えないの?もうたまらないよ。(笑)


 そう、この世で女にとって一番いいものは何?旦那さんだよ。そうでしょう、そうじゃない?いくら女性が優秀だなんて、水に濡れたツバメのように美しいと自慢して、ハトのように尻尾を丸めて明洞の街を歩き回ったとしても、その女性の前に愛せる男がいなければ終わりですよ。喪中の家みたいですよ、喪中の家。家に帰っても寂しくて、すべてが面倒くさいんです。絹の布団なんて何の意味があるんですか?絹の布団を敷いておいても、蹴飛ばしてしまうんですよ。でも、旦那さえいれば、たとえぼろ布を敷いて寝ても、温かみがあるんです。(笑)


 まあ、ムン先生は立派な方だと思っていたのに、世間的には下品なことを言っていると思われるでしょう。しかし、それ以上に神聖な言葉はないんです。神様もその言葉についてはそうおっしゃるんです。堕落しているからそうできないだけですよ。


 あの老紳士、おじいさん!「はい」 眼鏡をかけたおじいさんのことですよ。私より年下でしょうね。何歳ですか?「丁巳(ていし)生まれです」丁巳生まれって、私が分かるでしょうか?丁巳生まれというのは、情(情)がこもって死(死)に至るような年齢のことですか?(笑)「70歳です」私より年上なんですか?(笑)そう、そう、兄貴とは言えませんよ。壇上に立っている私が先生ですから、質問するんです。そう、この世で一番いいのは奥さんですよね?「はい、一番です」ほらね。男ってああやってすっきりと答えるんですよ。(笑)それは誰に似てそうなの?「神様に似てそうなのです」そのお方、本当にいい人ですね。(笑)神様に似て……


自らの愛を中心として回っている神様


  -(真のお父様と醜いお婆さんとの証しは略)-


 ここのお嬢さんたちも、うちの娘たちもそうですよ。嫁に行きたいでしょう?(笑)どうですか?嫁に行きたいですか、行きたくないですか?嫁に行きたくて、あんなに可愛らしく着飾ったんじゃないですか?あんなに色とりどりに、まるで花のようにね。花に蝶が飛んでくるように、ってことですよ。みんなそういうことになっているんです。


 昔は兄の手だから、撫でられてもぶつぶつ文句を言って不機嫌だったのに、時が来るとアダムとエバはお互いに愛し合うようになり、お互いに視線を交わして気分が良いというわけです。うちの母さんもそうでしょう。(笑)さあ、神様が見守る中で二人がそうやって愛し合ったとしたら、それは誰の愛だと言うのですか?「神様の愛」です。アダムとエバの愛であると同時に、神様ご自身が愛していることになるのです。


 そうなったなら、私たちの血筋は誰の血筋になったのでしょうか?誰の血筋を受け継いで生まれたのでしょうか?「神様の血筋」です。神様の血筋を受け継いで生まれたということです。そうなれば、私たちの体と心が争うでしょうか?神様の体と心が争うでしょうか?神様の体と心が争うでしょうか、全知全能の神様の体と心が?


 神様の体と心は、それ自体の愛を中心にして回っているのです。内的に運動しているのです。私たちもそうではありませんか?皆さんの脈拍は一秒に七十二回ほど打っていますが、自分の胸の中で毎時間打つ脈拍の鼓動を聞いていますか?一日に何回か聞いてみますか?それを感じますか、感じませんか?


 男性と女性が分かれて、互いに相反する面にある状態から、調和しようとする愛の力にぶつかる時には、強い衝撃、強い作用が働きます。カエルに電気を流すとピンと伸びるように、神様もその時には「あちゃー!」と、まあ、転げ回ってもいいというわけです。愛にはそのような力があるのです。


 旦那様がいらっしゃるおばあさん!旦那様がいらっしゃる方は?旦那様がいらっしゃいますか?「いません」いませんか?では、この方は旦那様がいらっしゃいますか、いませんか?「います」そう、旦那様は年を取るほど嫌になりますか、それともより貴重で大切で良くなりますか?「年を重ねるほど貴重になりますね」何がそうさせるのですか?「神様の愛」愛。愛は偉大なものです。年を取れば取るほど臭いがして、だんだん遠ざかり、醜くなるはずなのに、より貴重で、より大切だということです。そういうことなんです。(笑)皆さん、愛が悪いわけではありません。堕落したから下品なものだと思いがちですが。


神の愛さえ持てば、宇宙は私のもの


 神がどこにおられようとしたかといえば、愛の至聖所におられようとしたのです。堕落していなければ、そこが神の至聖所です。至聖所が人間が作った場所だと思えますか?神が造られたものの中で、最も複雑で、最も刺激的で、最も神経が鋭敏になるように造られた場所です。そこがどのような場所でしょうか?女性の胸でしょうか?


 男と女が愛を成就できる接触部分を何と言うか?(心)その心とは何ですか?稲妻が接触するときは、避雷針の先端に接触しますよね?人のすべての神経の先端はどこですか?「さっき聖所だと教えてくださった…」あれは何ですか?(笑)それが男と女のたった一つの異なる器官です。その一点が異なるからこそ、女になり、男になるのです。それ、分かりますよね?それが何か分かりますよね?説明しなくても、皆さんよく分かっているでしょう、はっきりと。(笑)それが尊いものなのです。


 堕落していなければ、神が臨在できる、神の愛が宿ることができる至聖所だったということです。こう言うと、既存の教会は仰天してしまいます。(笑)「あ、至聖所だなんて! 至聖所なんて誰が作ったの? 人が作ったでしょう。神様が人を作るのに、木の棒のようなものが何の至聖所だっていうの?」と言うかもしれませんが、それは後のアダムとエバを象徴していたのです。二枚の石板もそうですし、マナやウズラもそうですし、その次にアロンの芽吹いた杖だの何だのというものは、すべてアダムとエバを象徴していたのです。聖書のすべての秘密の話は、アダムとエバに関する話なのです。雲の柱、火の柱もアダムとエバであり、聖書の二本のオリーブの木もアダムとエバを指し、生命の木と善悪を知る木もアダムとエバを指しているのです。アダムとエバの秘められた愛を暗示的にすべてそう記録しておいたのに、それを知らないということです。


 神の愛はどこに着陸するのでしょうか?アダムとエバが堕落することなく成熟し、一つの夫婦を成していたなら、初めて万事はすべて終わるのです。そこから天国が始まるのです。神が愛した基盤の上に天国が築かれることになっているのです。しかし、堕落によって、その愛した基盤がないのです!


 では、堕落とは何でしょうか?どうなったのでしょうか?神は完全に成熟することを望んでおられました。例えて言えば、栗の実と同じです。6月や7月頃になれば、大きさは皆同じくらいに大きくなったのに、これを割ってみると実がないんです。栗の実の形はできているのに、その実を取り出してみると、食べられる実ができていないということです。それと同じだということです。実ができていないんです、実が。


 成熟しなければ実がなるはずなのに…。種ができる段階まで待ったということです。成熟すれば宇宙の中心になります、宇宙の中心。存在するすべてのものが宇宙の中心の座に立たなければならないということです。だから17、18歳以上に成長するまで待ったということです。今日、既存の信者たちは、神様が成熟した人間に造られたと思っているでしょう?違います。違います。すべてのものは自然の理の法則に従って、子供として造られたのです。


 そうして成長し、神と一つになって愛し合っていたなら、今日の人類は悲惨な状況にはなっていないでしょう。天国に行けば、宗教も必要ありません。宗教も必要なく、救い主も必要ありません。イエスを信じることも必要ありません。イエスが来る必要もありません。神の体となり、神の愛の土台の上に立っているのに、何が必要でしょうか。すべてを持っているのに?


 神の愛以上に尊いものはないので、その尊いものをすべて持つということなのです。神の愛さえ持てば、宇宙は私のものです。神のものであり、私のものなのです。そうでしょう?霊感があるなら、それは霊感のものであり、妻のものでしょ?あの霊感が、妻のものと私のものは別物だなんて言ったら、跨がって首を踏んで殺してやるべきです。この野郎、生きるのに支障になるから死ね!お前の体は私の体であり、私の体はお前の体だ!だからこそ、女性が持つその愛の器官は男性のものなんです。男性が持っている愛の器官は女性のものなんです。お前の体は俺の体であり、俺の体はお前の体だという言葉が、だからこそ成り立つのです。そうやって入れ替わっているのです。主人は誰ですか?男が主人ではありません。これを勝手に使おうものなら、すべてが……それは絶対的なのです。これを破ることはあり得ないということです。


 私たち統一教会の若い娘たちのことですが、お互いに恋愛すべきでしょうか、すべきではないでしょうか?デートすべきでしょうか、すべきではないでしょうか?初恋は自分の夫に捧げなければなりません。アダムとエバの情は二つでしょうか、一つでしょうか?一つですよね?同じことです。初恋は尊いものです。初恋は神様が導くものです。神様は初恋の橋を渡って宇宙を横切り、地獄と天国をすべてつなぐのです。地獄がなくなるのです。


愛を中心に一つに結ばれている霊と肉体


 さて、そうしてアダムとエバ自身が神を中心として愛を成就し、霊界へ行くとなると、誰が父になるのでしょうか?神は無形です。霊界に行っても姿は見えません。神がなぜアダムをそれほど愛を中心として創造されたかというと、この被造世界は「体」を持っているからです。だからこそ、体を持つ父にならなければならないのです。


 体を持った父となることによって、見えない無形と有形が一つになるのです。それは宇宙が一つになることを象徴しています。だからこそ、体をまとわせるためにアダムとエバを創造したのです。その体をまとわせるには、何が決定的なのでしょうか?愛だけがそれを可能にするのです。神の像に似た、そのような体を持つ姿として現れるのです。それによって、アダムの姿とエバの姿が天国の王宮に、王座に就くことになり、その王と王后の心の中に神がおられ、地上世界と無形世界を統治するというのです。神の王国を作るのです。王国とはどのような王国でしょうか?愛の王国だということです。わかりますか?愛の王国。そうではありませんか?愛を中心としてこそ、霊と肉が一つになるのです。他のものを持っては一つになることはできません。



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