天一国心情圏ブログ

天宙平和統一国の指針!真の父母様の本体論と絶対性教育により天一国市民の資格を得る!

必死だね三原さん!頑張って!真の父母様本体論は日々確実に天一国展開の段階に近づいている!

諸星くると

先回記事末部より


批判の声が大きくなり破裂するほどになればなるほど、「真の父母様の本体論」において、お父様が解き明かしてくれる真実真理は、なおさらに深くなり、二代王様の御言と共鳴するのです。


さあ、皆さん!天一国への希望は、ますます大きくなっています。明日の記事において、お父様はなお深く解き明かしてくださった「神様の誕生」について紹介できるでしょう。


  *****


三原氏が自分で構築した「原理原相論試論」が主張する、「為に生きるを極める為に瞑想に入り、自己中心な神様になっていた。」という、矛盾した解説を正当化しようと必死ですね。


自説を証明する為に、次のような主張を展開してきました。


  **三代王権天一聖殿ブログ6月4日記事より**


今回は韓国語「위하다」を漢字を用いると「為하다」であるという視覚的にも実にシンプルな事実により菅井教の経典「真の父母様の本体論」が偽りであり、この「真の父母様の本体論」を菅井教祖の教えた聖霊は聖霊を名乗る悪霊であることを証明します。


韓国語の「하다」は日本語で言えば「する」です。

「위する」を漢字で表すと「為する」となるということです。

(自然な日本語は「為にする」ですが、明確にするため韓国語に当てはめ説明します)


最近は韓国語は漢字を使いませんが、1970年に漢字廃止宣言され1990年代初めまでは「위하다」は「爲하다」と新聞では表記していました。


  **引用終了**


現在の事実ではなく、真のお父様が語られた1990年代に合わせて、その当時の新聞記事の韓国語日本語訳の記述の仕方を根拠にして来ました。真のお父様のみ言と、日本の新聞記事に何の関係があるのでしょうか。


それも、次のように苦しい根拠付けです。


【韓国語の「하다」は日本語で言えば「する」です。「위する」を漢字で表すと「為する」となるということです。(自然な日本語は「為にする」ですが、明確にするため韓国語に当てはめ説明します)】


そして三原氏は、次のようにdeepl翻訳の「優先」という訳と、三原氏が主張する「為」の翻訳との違いを述べています。


  **三代王権天一聖殿ブログ6月4日記事より**


問題になっている文鮮明先生の御言の韓国語は

「자기를 위하던 때로부터 상대를 위하는 때로 전개되는 것입니다.」

ですが、これを漢字を交えて表記すると

「自己를 爲하던 때로부터 相対를 爲하는 때로 展開되는 것입니다.」になります。

日本語直訳は

「自己の 爲していた時から 相対の爲する時に展開されることです」となります。

(比較のため「に」を省き「爲に」ではなく「爲」にしています。)

*注:「為」の旧漢字、韓国漢字は「爲」


しかし菅井教は

「自己를 優先하던 때로부터 相対를 優先하는 때로 展開되는 것입니다.」

「自己を 優先していた 時から 相対を優先する時に 展開されることです」

と訳すのが正しい御言の解釈であるから「真の父母様の本体論」を真理であるとします。


つまり菅井教の「真の父母様の本体論」は

文鮮明真の御父様の原文「自己를 爲하던 때로부터 相対를 爲하는 때로 展開되는 것입니다.」には「爲」という意味はない。「優先」が正しいとする神学です。

「優先」が正しいのであれば、菅井教は、「何」に対して「何」に比較して自己を優先したのか、その「何」を明確にしないといけません。


  **引用終了**


意味を読み取れるという方がおりましたら、ぜひ、彼が実際に書いた記事の全文を読んで判断してみて下さい。


三原氏が1990年当時の日本の新聞記事の韓国語翻訳まで持ち出して、自己中心な時から神様は「為に生きる思想」を持っていたと、根拠付けた日本語訳が次のものです。


【日本語直訳は「自己の 爲していた時から 相対の爲する時に展開されることです」となります。(比較のため「に」を省き「爲に」ではなく「爲」にしています。)】


彼はこの翻訳から、「自己中心な時から為に生きていた」と解釈したのでしょうが、あまりにも無理があります。自分の思考回路の中に、もう「自己中心な時から為に生きていた」と刻み込まれているので、自分の主張が正しいと思い込んでしまうのでしょう。


どこからどのように読んでも、普通には次の解釈になります。


「自己の為にしていた時から、相対の為にする時に展開された。」


三原氏が菅井の主張だという、「自己を優先していた時から、相対を優先する時に展開されることです」と変わりのない意味です。


この表現はdeepl翻訳が、機械的に翻訳したものであり、私はそれを参考にしたまでのことです。


三原氏のように、神様がたった一人でおられた時から「為に生きる」神様だったとすると、もっとも重要な「真の愛に絶対服従して生きたいと願う心情の動機」が浮かび上がらないし、本然基準で理解することが出来なくなるのです。


本然基準の真の愛の起源を理解する為に、次の動画をお勧めします。


第17回セミナー「宇宙の先祖となる生殖器の構想!」


17.宇宙の先祖となる生殖器の構想!!四巡目「真の父母様の本体論」



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