第16回ポイントセミナー「原理本体論が解く男女の生殖器を持つ両性具有神」
先回記事末部より
本形状の備える本性相に対する「絶対服従性」から、その授受作用によって「包容感」という喜びを実感したのです。それが本形状という対象の存在への覚醒となり、包み返す対象を得たいという衝動が込み上げるようになるのです。そこにこそ、宇宙の根源があるのです。
つまり、包み込まれる実感から対象世界の創造へと発展していくのです。永遠普遍の無限大の神様が包み込まれる実感を得たことによって、個性体の存在という発想が生じたのです。そして、その個性体として神様を包み込んでくる女性の個性体が構想されるのです。
ですから、宇宙創造の出発点は凹凸という関係性を発想する切っ掛けとなった、包み込んでくる側の対象世界への覚醒から、真の愛の世界の構想が始まったという事になるのです。
その意味で、凹が先にあり、女性が先惟されて、女性に合わせて男性をつくったという事になるのです。生殖器の構想について解説していけば、もっと奥深い内容が分かりますが、この記事ではここまでにします。
ちなみに、神様の誕生の経緯が理解できると、「神様は二つの生殖器を持っている」という解説は誤りであることが分かります。
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「神様は二つの生殖器を持っている」と解説する劉正玉会長の原理本体論は、この解説こそが決定的な間違いとなっています。韓氏オモニが、神様を天の父母様と称している今は、これが間違いだとはっきりと断言できるでしょう。
この間違いはどこから来るかと言えば、二代王様が2012年1月に解説した「夜の神様・昼の神様」に対して、より深く研究することなく結論付けてしまったことにあります。
劉正玉会長は原理本体論の第1章創造原理の(4)神様の正体において、第八として次のように解説しています。
**3)神相と神性の構造(哲学の観点)(4)神様の正体より抜粋引用**
第八に、神様は夜の神様として、また昼間の神様として存在されます。また、神様は万王の王であり、真の父母です。また、神様はイエス様の先祖であられ、真の父母様の先祖でもあられます。
本性相と本形状は別の表現をすると、夜の神様と昼の神様だということができます。夜は見えなかった形体が、昼なら現れるのを比喩した表現です。それが心の神様、体の神様です。
神様は心に当たる性相的な夜の神様を実体化するために、神様の体に当たる形状的な昼の神様を創造されました。自ら体の神様を創造されたのです。その動機は夜の神様です。夜の神様の中に定められた構想、すなわち抽象的な観念が一つの原則と数理によって、具体的に現れたのが昼の神様です。
体の神様も無形なので、実体をもたなければなりません。それで、ご自身の体になるようにアダムとエバをつくりました。神様の体であるアダムとエバは、代々で見ると、神様の息子娘です。
神様の息子・娘は、心を通しては神様の四大心情圏に似て、神様と一体となった心情の立場に立たなければならず、体を通しては神様の「絶対性」に似なければなりません。心と体を通して、神様に似た実体となるのです。
**引用終了**
神様の本性相が夜の神様で、本形状が昼の神様と単純に結論付けています。さらには夜の神様が心の神様で、昼の神様が体の神様と、これまた単純に結論付けましたから、当然のように、体の神様が実体として現れた存在が、アダムとエバだという事になります。
このような思考展開は、言葉上のパズル合わせのようです。この言葉の展開を受け入れて解釈すると、アダムとエバは、体の神様である本形状を実体として顕現させた存在となります。
「神様の正体」の第八で、「体を通しては神様の『絶対性』に似なければなりません。」と主張していますが、劉正玉会長が「絶対性」をどのように捉えているのかが問題になってきます。
序論:創造原理とは何か 2)神様の実相において、次のように解説しています。
序論:創造原理とは何か1.神様の二性性相 2)神様の実相(2)本陽性と本陰性
人間から素粒子まで、あらゆる被造物には共通して神様の属性である陽性と陰性があります。それが本陽性と本陰性の二性性相です。陽性と陰性は、一つの性(生殖器)を意味します。
創造は本性相の心情と本形状の能力を動機として起こりますが、最終的には本陽性と本陰性の「絶対性(absolute sex)」を通して為されるのです。
神様の中にある本陽性の「絶対性」から出発した精子は、真の愛の種です。神様の中にある本陰性の「絶対性」から出発した卵子は、真の生命の体です
(3)二性性相の統一体 本陽性と本陰性の統一体
神様の「絶対性」を実体として現したものが、男性と女性です。神様の実体の男性がアダムであり、実体の女性がエバです。男性と女性が実体として現れる前に、神様の中にあった陽性と陰性は、神様の二つの生殖器です。神様が二つの生殖器をもっていらっしゃるという話です。人間が分立されて現れる時、男性と女性の生殖器が別々に出て来たのです。
言葉を追って理解すれば、なるほどと感動するでしょう。神様の中で本陽性と本陰性は完全一体になっており、絶対的なものですから、そこから成分合作用で創造された男女も、永遠に一対一の関係で愛し合うのだと「絶対性」の意義を簡潔に理解できます。
でも、良く考えてみましょう。まず、次の文章です。「陽性と陰性は、一つの性(生殖器)を意味します。」この文章から「陽性と陰性は、それぞれ一つの性を意味します。」と理解できるでしょう。でもなぜ、その「性」という文字に( )で閉じて「生殖器」となっているのでしょうか。陽性と陰性を、なぜ突然に「生殖器」と意味づけることが出来るのでしょうか。「陽性と陰性は、一つの生殖器を意味します。」と書き表したならば意味が理解できますか。
そもそも陽性と陰性は、本性相の知情意の思考展開と、その構想を形状化するための無限応形性を備えた素材的要素です。陽性と陰性の授受作用は、本性相に絶対的相対基準を結んで展開します。ですから、絶対性があるとすれば本性相にこそあるのです。
陽性と陰性に絶対性があり、単なる性質ではなく、これを「生殖器」と結論付けてしまったので、「神様は二つの生殖器を持っている」と解説してしまったのです。
劉正玉会長の原理本体論は、最終的に父なる神様を両性具有神にしてしまいました。神様は二つの生殖器を持っているので、神様の中で男女が一体となっているように、息子娘も一体となるべきであるという、心情を無視した「絶対性」教育となってしまったのです。
二代王様が劉正玉会長の原理本体論に対して、「天使長の政府構造を理想的だと述べているのではないかという懸念がたくさん出てきました。」と評価された要因は、このような「絶対性」に対する間違った解釈を指摘されているのでしょう。
だからこそ、本然世界の天一国にふさわしい「絶対性教育」が現れなければならないのです。
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