堕落世界で身に付け心に沁みてしまった汚れ穢れを全て払拭して天一国に至るみ言に臨もう!
先回記事末部より
2010年4月4日のみ言では、神様が成長する為の要素を吸収することを、「植物の根」に例えて語られていましたが、2004年4月19日のみ言は動物の五臓六腑に例えて語っていました。
さらにまた、真のお父様は「腹中の胎児に例えれば」と比喩と象徴を、人間の誕生に近づけて語られました。
ここまで比喩と象徴を深めて人間に近づけると、神様が自己中心的な神様から為に生きる神様に覚醒された、もっとも究極の原因まで触れていくことが出来るようになるのです。
つまり、腹中で結ばれる精子と卵子に例えられたものが、果たして何なのかを考える時に浮かび上がってくるのです。
神様の見えない宇宙とは、神様の心の世界のことですから、神様の情緒圏で何が起こったのかという事を考察していくのです。すると、あなたにもはっきりと神様が覚醒した状況が見えてくるでしょう。そして、あなた自身も覚醒できるようになって行くのです。
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創造前の神様が、他の何ものをも意識していない状態から、対象の存在に覚醒し愛によって生まれ、創造主となるまでの経緯を理解するには、心の底から澄み渡った状態を自ら作り出さなければなりません。
夜の神様とは無の暗闇の状態でありながら、実はその暗闇こそ、光の満ちている世界なのだという状態を理解しなければなりません。
2010年4月4日真のお父様のみ言
太陽があるなら、太陽にも月の輪(ハロ)のようなものがあります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本を、月の輪がなければ解説できません。
闇があるなら、その闇の群れがあるということです。真っ黒な闇の群れは光です。闇と光は違いません。闇の群れとは光のことです。こんな話、初めて聞きますか?
光はどこから生じたのでしょうか?七色を合わせると黒色になります。光は闇の何でしょうか?闇の何かといいますと、群れです。物や光があると群れ(輪)があります。それを理解しなければなりません。
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真のお父様が語られたみ言の真意を見出すためには、原理講論によって信じてきた「人間メシヤ」から広がる概念を、完全に捨てきらなければ見えてこないのです。
それを捨てきり、心を無の状態にリセットできないので、真のお父様の聖和を韓氏オモニや祝福家庭の不信の犠牲となったとみてしまうのです。
先回記事で引用した2004年4月19日の「真の愛を中心として成長された神様」と題された部分を理解するには、ある意味至難の業です。神様が誕生した時点の、純粋な心情世界に近づこうという信仰的努力を積み重ねなければならないでしょう。でもそれは、何かのきっかけで、思いもよらずに至ってしまう境地でもあるのです。聖霊が常に働いているからです。
でも、このみ言に込められた真のお父様の真の愛は、理解できれば筆舌を超えるものだと腑に落ちて行きます。
神様が創造を始めるに至った心の動機は、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」であったというところまで、先回記事で説明しました。しかし、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」という心情姿勢は結果として得た心の方向性であって、もっと掘り下げることが出来るのです。
そこでまず、真のお父様が2004年7月8日に語られたみ言から「創造理想の根本的思想の三元素」と題された部分を引用します。
**2004年7月8日真のお父様のみ言「真の愛の絶体価値」より**
創造理想の根本的思想の三元素
真の愛の和合統一は、真の家庭の絶対価値観です。絶対価値は、和合と統一の愛を知らない人には分かりません。それでは、絶対価値の骨子は何でしょうか。父と母、夫と妻、それから兄弟、この六数です。四位基台の頂点に神様を立てれば三段階です。これが三対象目的を中心として連結されるのです。
そのようになれば、おじいさんを中心としても絶対価値観が一つであり、おばあさんを中心としても絶対価値観が一つであり、お父さんを中心としても絶対価値観が一つであり、お母さんを中心としても絶対価値観が同じであり、自分たち夫、妻、息子、娘を中心としても絶対価値観が同じです。誰も絶対に否定できないのです。そのようになるときに、初めて「絶対価値観」と言うのです。
その前には、おじいさんもおばあさんも絶対服従します。絶対信仰、絶対愛をもって絶対服従するのです。創造理想の思想的な根本、その三元素とは、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従でつくられたので、その結実もそのようにならなければなりません。ですから、それは、永遠に一つのモデルになるのです。そこに合わせて同じ価値を備えることができるようになるとき、絶対価値観が天地を統一することができるのです。
真の愛の和合統一は、真の家庭理想の絶対価値観です。絶対価値観によって、理想的父母、理想的夫婦、理想的兄弟になるのです。そこから一つだけを抜いても、すべてが崩れていきます。永遠を中心として、父母と夫婦と兄弟を、お互いが絶対的に保護しなければなりません。
そこで問題になるのは、おじいさん第一主義の家庭なのか、孫第一主義の家庭なのかということです。平準化されなければなりません。ですから、男性と女性が、最初から平準的基準で同じになり得る内容とは何でしょうか。そして、絶対価値の内容となり得るものとは何でしょうか。これが問題です。
父母において、母が主人になるのですか、父が主人になるのですか。男性第一にすれば、女性は付属品にしかなりません。理想的絶対価値観を構想しながら、先有条件として認定するために、神様は、女性を手本にして男性を造り始められたのです。
神様は男性的主体ですか、女性的主体ですか。男性的主体なので、神様が喜ばれる女性格が神様にあるでしょうか。ないのです。ですから、愛という問題を中心として、男性格主体が絶対価値観を立てて主体となるためには、女性に橋を架けて絶対的に一つになり得る内容がなければなりません。
先有条件として、神様が男性を造られるときに女性を手本にして造られたとすれば、先に創造されたのは男性ですか、女性ですか。
建築するときに、ブループリント(青写真)があります。ブループリントのとおりに実体を造るようになっているのですから、ブループリントを先に書き始めたのですか、実体構造的なものを先に造り始めたのですか。実体はブループリントに従って造るのですから、創造の前の先有条件は女性なのです。ですから、このような見えない存在を保護する責任者として、男性を造られたのです。そうだとすれば、女性は気分が良いですか、悪いですか。それゆえに、ここで一番の問題になるのは、人間世界はそのことを知らないということです。
その次には、「上下関係は、父子関係だ」と言います。孔子もそれを言いました。上下は父子関係、左右は夫婦関係、前後は兄弟関係です。上下関係も、「上」を語るためには、先に「下」を認めてから語らなければならないのです。上だけで「上」と言うことはできません。先有条件として認めなければならないのが「下」です。「下」を認めてから「上がこうだ」となるのです。すべての存在の先有条件は、見える実体よりも見えない心的形態基準でなければなりません。
**引用終了**
このみ言で真のお父様は、「創造理想の思想的な根本、その三元素とは、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。」と語られています。
この「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」の原点を神様は体験的に獲得し、真の愛への覚醒に至ったのです。
そしてこの最も重要な真実真理を理解する為に重要なのが、神様は女性を先に構想したという事です。
この事実にこそ、神様が絶対主体でありながら、「真の愛に絶対的に服従して生きたいと願う心情の動機」を獲得し、絶対対象にも立てるようになった理由があるのです。
真のお父様が地上に残していかれた創造前の神様に関するみ言の、真意を解説しようとするときに、妨害するために激しく襲ってくる霊的勢力を砕くために、今回はこの内容にしました。
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