菅井を批判するほど自滅していく三原氏と堀勇一氏!誰か救いの手を差し伸べてはいかがでしょうか!
堀勇一氏と三原氏がそれぞれ私・菅井への批判記事を上げました。
いちいち構ってあげることも無いのですが、誤解する方が出てこないように、三原氏2月9日記事の一部のみ、ここに取り上げ解説します。ここの部分に三原氏の読解の間違いがあると分かれば、全体の批判文が支離滅裂なものだと分かります。
**三代王権天一聖殿ブログ2月9日記事より抜粋引用**
◆第一、菅井教の勘違い思い込み
2021年3月23日キングスリポートからの上記引用部分の、基本的文章構成がまったく理解できず、単なる文亨進師のキリスト教現代神学の説明を文亨進師の論説だと思い込んでしまい、その思い込み勘違いで菅井教を展開していることに菅井氏はまだ気づかないからです。
菅井氏は
【「二代王様は「三位一体のシステムそのものから『愛』を相互間応答しているわけです。」と表現しています。】
と言っているように完全に文亨進師がこのような自説の神学を語っていると思い込んでいます。
いいえ、それは大いなる勘違いです。
「三位一体のシステムそのものから『愛』を相互間応答しているわけです。」この説明は、現代神学の学説を文亨進師が単に紹介解説しているに過ぎません。
この「三位一体のシステムそのものから『愛』を相互間応答」とは、三位一体論で有名なペリコレーシス(相互内住・愛の循環)の事だと伝えても、菅井氏は、いや二代王様の表現だと言い張るのですから手におえません。
この文亨進師がこの2021年3月23日に読んでおられたその文献そのものではありませんが、ペリコレーシスに関する文献を紹介します。フランシスコ会日本管区宣教基礎論の10ページをご参考ください。
文亨進師はもちろんこのような神学は十分ご存知です。
菅井教はハーバード大学神学大学院で学ばれた文亨進師の学問としての神学説明を比喩だ比喩だと言ってバカにしすぎです。
まさに「あるまじき勘違い」です。
**引用終了**
まず三原氏が問題にしている2021年3月23日キングスリポートの、二代王様が語られた部分を提示します。この文章について、二代王様は現代神学の学説を紹介しているだけなのに、二代王様のみ言そのものだと勘違いしているというのが、三原氏の言い分です。それを頭に置いた上で読んでください。
**2021年3月23日キングスリポート二代王様のみ言**
しかし、キリスト教(Christianity)では、キリスト論(Christology)の内容があり、イエスを神として扱っています。非常にレベルの高いキリスト論です。
人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。
それがキリスト教で扱われている「神は愛である」という内容です。
三位一体のシステムそのものから「愛」を相互間応答(reciprocate)しているわけです。
それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。
**引用終了**
この部分だけなら、明らかに二代王様は、現代神学の結論ということで語られています。ただ、この後に二代王様のみ言は続いています。
**提示したみ言の続き(2021年3月23日キングスリポート)**
ですから、原理講論の内容だけを見ると、我々はメシアに対する低いキリスト論を持っているのです。メシアを神として見なかったのです。女性から生まれた人としては見ましたが、神としては見なかったのです。
お父様が夜の神、昼の神の神学の内容を明らかにされた時、お父様はそのキリスト論を昇格させられたのです。
「いや、お父様はメシアなので特別だ。ただの人間ではない。お父様は神から来られたのであり、夜の神から来られたのだ。創造以前の神から来られた。」ということです。
つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられたということなのです。
これはまさに我々がクリスチャン(キリスト教)のキリスト論に近づいた内容でした。
我々(統一教)は、レベルの低いキリスト論から大変レベルの高いキリスト論へと進みました。それで人々はとても驚いて混乱してしまいました。急に低いレベルの神学から、高いレベルの神学へと突然変わってしまったからです。
それで、人々は認知的な不調和ができて、それに適応するのが難しかったのです。
個人的に私はお父様がこのようにしてくださったことにとても感謝しました。
なぜなら、お父様が「キリストとしての父」の固有の特性を明確にしてくださり、強調してくださったからです。
それは勿論イエスも同じです。
これがなかったら、我々は常にキリスト教から分裂していたでしょう。イエスをただ他の預言者として見るイスラムに近くなっていたことでしょう。そして、キリスト教から分裂していたと思います。
いつも論理的な分裂がありました。振り返ってみると、これが我々をキリスト教から分裂させる理由だったと思います。
なぜなら、キリスト教は非常にレベルの高いキリスト論を持っているからです。私たちはレベルの低いキリスト論を持っていましたね。
お父様がなぜそうなさったのか?神はすべての事をなさるに理由があるということがわかります。最後にはもっと多くのことを悟るでしょう。
しかし、ここで申し上げたいことは、お父様がメシアに対するキリスト論を昇格してくださったということです。
**引用終了**
このみ言の他の部分で、原理講論のキリスト論は、キリストについて「人間メシヤ」として解説しており、「低位キリスト論」であったと語られています。しかし三代王権は成就し、統一食口はようやく「高位キリスト論」に至ることが出来たと語られています。
つまり、統一食口は「三位一体のシステムそのものから「愛」を相互間応答(reciprocate)しているわけです。」という、現代神学の結論までようやくたどり着いたと語られているのです。
だからこそ、「これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。」と肯定的に語られ、「キリストは創造以前から神と一緒におられたということなのです。」というさらなる結論のみ言を語られたのです。
現代神学の結論を語られながら、祝福家庭の神学理解の次元もそこまでに到達し、そこからさらに高い極みに至ることを期待されて、次のように語っています。
**2021年3月23日キングスリポート二代王様み言**
これは神学的に非常に豊富な内容であり、父なる神、真のお父様、イエスの関係を原理的観点でどのように考えるのかに対する内容です。イエスとお父様は違う時代にこの地上にいらっしゃったので明らかに二つの違う肉体があるはずです。そして原理からも分かるように、人類学的に神が人間を作る時、肉体を作ったなら霊体もまた作ったはずです。霊人体も作られたのです。
したがって、我々の原理的な観点で見た時、人間の肉体があれば魂もあるのです。なぜなら、神が人の肉体を創造した時、霊人体も一緒に創造されたからです。同時に創造されたのです。
とても深い内容です。続けて説明することもできると思います。しかし重要なことは、原理の御言葉で霊体を魂(spirit)だけで見るのではなく、霊的な体と心(霊体と生心)があると見るために、はるかに深い神学的内容が含まれているということです。より高次元的な内容を理解できるようにしてくれます。
**引用終了**
原理講論ではない本然の統一原理によれば、もっと高い次元に至れることを、暗示してくださっているのです。
これらのことから分るように、ただ現代神学の結論として語っているのではなく、高位キリスト論の次元に立った上で、それよりもさらに極めて高い次元に飛翔していかなければならないということなのです。
二代王様においては、問題になっている次のみ言でさえ、現代神学を超えている表現になっています。「三位一体のシステムそのものから「愛」を相互間応答(reciprocate)しているわけです。」簡略にまとめておられますが、たった一人でおられた神様の様相を、明確に表現しているのです。
原理講論は蕩減復帰摂理上の重要な教本です。もちろん、間違いがあると言われた内容もそのままにしなければなりません。しかし、三代王権のもとにある私たちは、本然の統一原理を研究し、また真の父母様の本体論も極めていかなければならないのではないでしょうか。
それともその責任を、三代王様に背負わせてしまうのでしょうか。私たち氏族メシヤ王王妃が、三代王様の行かれる道を直くするために整えていかなければならないのではないでしょうか。
もう一つ、三原氏が次のように書いている、比喩と象徴を用いた詩的文体についての誤解を指摘しておきます。
三原氏主張より
「第一で指摘した通り、文亨進師が『これが現代神学の主たる結論です。』と言っておられるのに、その現代神学の解説に向かって、『比喩と象徴の詩的文体で語られているという観点で受け止めています』とトンチンカンになっているのは、」
二代王様のみ言の中で、「高い次元の話し」について、次のように語られています。
【さらに高い次元の話なので、明確に推測することが難しいのです。まるでその点から線について話をしているのと同じですね。あるいは点が3Dについての話をするようなものです。ほとんど不可能ですね。したがって、原理の御言葉がより深い霊的世界に対する理解を助けることができるのです。霊的世界に対するさらに深い領域です。これらはとても興味深い主題です。】
創造前の神様の様相や、神様が愛によって誕生する経緯など、人間の概念では到底計り知ることも出来ない事象です。よく言葉に表せないほど凄いとか、素晴らしいとか表現しますが、実体験の実感があればこそ、比喩と象徴を用いた詩的文体で表現することができるのです。
それも二つや三つの言葉の組み合わせ、または何行かの組み合わせで、普通の言葉なら何十ページ何百ページになる内容を詰め込むことができるのです。そのような性質を持つものが「詩」なのです。
「三位一体のシステムそのものから『愛』を相互間応答(reciprocate)しているわけです。」という表現から、「三位一体で創造以前から父と共にしていた存在である」と導き出せるだけの、深い本質的内容が凝縮されているのです。
この一行の文の中に、「夜の神様と昼の神様の様相」「一人でおられた神様の存在原理」「神様の誕生の経緯」についての真実真理が、ぎっしりと詰まっているのです。また、それらの内容が理解できてこそ、真の意味が浮かび上がってくるのです。
三原氏の場合は、自分で構築した「原理原相論試論」にこだわっており、たった一人で存在していた段階から、「為に生きる心情の神様」だったとしています。その神様が愛を極める為に自己中心な瞑想状態に入ったなどと、矛盾をはらんでいる解説になっています。
真のお父様は一人の存在だった神様について、「御自身以外の何ものをも意識していなかった」と語っているのですから、他者との愛を極める為の自己中心な瞑想を行うなど、想定することも出来ないものです。三原氏が自分の思考展開に組み込んでしまった、神様の原点に関わる重大な矛盾があるので、真実真理に相対できなくなるのです。
真のお父様は原理原本を発刊する際に、「比喩と象徴を用いた詩的文体で書いたので、私が解説しなければ理解できない」と語られています。三原氏は、その真のお父様の心情を理解できないのでしょうか。
今や真のお父様は聖霊を通して、一人一人を導いて下さろうとしているのです。真のお父様が用いる教材は、「比喩と象徴を用いた詩的文体」で語られたみ言なのです。
その究極のみ言が、2010年4月4日に語られた次のものです。
2010年4月4日真のお父様のみ言より
太陽があるなら、太陽にも月の輪(ハロ)のようなものがあります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本を、月の輪(月暈)がなければ解説できません。
闇があるなら、その闇の群れがあるということです。真っ黒な闇の群れは光です。闇と光は違いません。闇の群れとは光のことです。こんな話、初めて聞きますか?光はどこから生じたのでしょうか?七色を合わせると黒色になります。光は闇の何でしょうか?闇の何かといいますと、群れです。物や光があると輪があります。それを理解しなければなりません。
これから理想世界はどうなるでしょうか?二つが合わさると、闇でもなく昼でもありませんが、水平線に太陽が昇る前にすべてが見えるのと同じです。
このみ言のなかに、「物や光があると輪があります。」と語られています。この「光があると輪があります。」という部分が、「三位一体のシステムそのものから『愛』を相互間応答(reciprocate)しているわけです。」と一致するのです。なんの解説も無ければ、チンプンカンプンになるでしょう。
機会があれば詳しく解説しますが、ここでは簡単に、闇が性相で光は形状を比喩しているとまで言っておきます。性相と形状が神様の喜びを得たいという情的衝動を中心にして、三位一体のシステムとして授受作用しているのです。
光で比喩されたのは、神様の意識展開のことです。光の発動源は性相にありますが、形状のエネルギーの作用が、知情意の機能に働くことにより、神様の思考は意識世界に顕現します。顕現した思考展開の結実を、「輪」と比喩しているのです。
「光があると輪があります。」とは、神様だけの意識世界が存在環境圏となっていた創造前の神様の状態を表現したみ言になります。
創造前の神様のみの存在 創造後の被造世界の現象化の様相


それが「物があると輪があります」になると、三次元の被造世界のことになります。「物」という一語に、創造原理によって創造された被造世界の、すべてが凝縮されて表現されているのです。
真のお父様は、祝福家庭の一人一人が聖霊に導かれるようになった時に、実感的に理解できるように、比喩と象徴を用いた詩的文体で語られた本質的なみ言を残しておられたのです。
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