真のお父様が祝福家庭に与えてくださった宿題が天聖経に記されています!
10月20日記事末部より
その「虚無圏」を、原理原本では「無限無」と表現されています。
原理原本 第一巻 第一章 第一節 生の発源は「先有」から 24p
そうだとすれば、どこからが「無」なのか、その存在可否の根本を決定する中心存在は何かということが求められる。この存在は、自分を前在(前提として存在すること)条件として規定した基盤の上で「有」と「無」を決定し、判断を下しているのである。これは、人々が存在の有無について語る行為を見れば、それが事実であることが分かる。
この事実は、自分が中心となっている事実を考えずに、自分以外の他の存在からその始発点を見出そうとすれば、様々な存在を確定できなくなってしまうことを意味している。それゆえ、自分が「無限有」と「無限無」との中間存在であり、一つの公式単位体型であるという事実を明白にすることが、今日の人間が背負った課業である。
26pから27pにかけて、さらに「無限無」について解説されていますが、必要な方は読まれてください。
たった一人でいた自己中心的な神様が主管できないで無限に広がる「無限無」を、神様が愛に覚醒することによって真の愛で主管できるようになり、無限無は「絶大無」となったのです。原理原本では、そのように「神様は絶大無の主人公」と表現しています。
【神様「絶大有」の存在であり、「絶大無」なる存在の主人公がすなわち神であられる。】
神様は自己中心的な存在から対象への愛に覚醒し、膨大無限に広がる「無限無」を、「真の愛」で満たす構想理想を立てるようになるのです。それで「絶大有」の存在と「絶大無」なる存在の主人公となられたのです。
その神様の誕生における変貌の経緯を理解したならば、その方は「真の愛」の本質をつかみ、キリストを心に迎えるようになるのです。
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真の愛の本質を理解し体恤する為には、自己中心的な神様がどのような経緯を経て、対象の存在に覚醒したのかを知らなければなりません。
その為にまず理解しなければならない事は、たった一人で存在していた段階の神様の様相です。
天聖経の「真の神様」に、神様の情緒についてのみ言があります。
**引用開始**
真の神様 第1章 神様の本体 3)神様は人格的な神様 ②神人一体の人格神を要求
愛を論じるならば、人格的神でなければなりません。情緒と、人格的に人と同じ素性をもった神でなければならないのですが、そのような神を提示した宗教はキリスト教以外にはないのです。神様を父と言ったのは偉大な発見だというのです。神様を父だと言ったのです。神様を父だと発見したという事実は今先生が話す、神様を内的父と外的父と見て実体に一致する愛によって統一的な権限をつくろうとするその基準、確実にこの基準までは発見できませんでしたが、そんな内容を暗々裡に解明することができる標題を掲げたという事実は驚くべきものです。そして唯一神を論じました。ですからこの宗教は世界的宗教であり、世界がこの宗教を中心としてまとまることができるというのです。この宗教によって世界が一つになることができる道を立てていくと、このように見るのです。(139-240, 1986.1.31)
哲学の最後の終着点は、神様を発見することです。その神様はどんな神でしょうか。絶対的な神、不変の神、唯一の神です。神様を発見することにおいて、その神様は私たち人間に必要な人格的神でなければなりません。私たち人間と関係を結ぶためには、私たち人間が考えるすべての内外を備え、意志を備え、理想を備えた人格的神でなければならないというのです。すべての面で通じることができる、情緒面やみ旨的な面や、または知識的面で私たち人間と通じることができる、完全に関係を結ぶことができる神様でなければ、どんなに神様がいると言っても私たちとは完全にかかわることができないのです。このように見るとき哲学は、人格的神にならなければならないという標題のもとであがめ尊んでこなかったのです。(138-142, 1986.1.21)
神様は誰に似ましたか。息子、娘に似ました。皆さんは誰ですか。神様の息子、娘です。神様に似たのです。そして神様は人格的な神です。神様がつまらない神様でいいでしょうか。キリスト教の驚くべきことは、人格、愛を中心として、知情意を中心として情緒的な人格的神を論じたということです。これが偉大です。そして唯一神を論じました。(177-275, 1988.5.20)
**引用終了**
これらのみ言は創造後の神様の観点から語られた内容ですから、「愛を中心として」と語られたり、人格的神と語られています。
まだ対象との愛に覚醒していない神様においては、自己の存在の喜びを目的として、知情意の思考展開によって結実する情緒的な神様と言えるでしょう。
原理原本の30ページには、第一存在の神様について次のように解説されています。
原理原本 第一巻 第一章 第一節 生の発源は「先有」から 30p
したがって、多くの人間が知ろうとしている神の根本がいかなるものかについては、まず被造体である自分の根本について、実感をもって理解しながら探究すれば、第一存在が意識存在としていらっしゃることが、確実性をもって自然に理解できるのである。そのような明白な体験を実行して求めてみれば、その存在自体を知ることができる。
神様がたった一人で存在していた段階では、第一存在の意識存在のみが「無」を基盤として顕現し、意識が展開されるほどに「有」として、神様は自分の存在を確認していたのです。
創造前のたった一人の神様は自らの知情意の思考展開が意識世界に顕現し、喜びを感じることを通して情緒圏が形成され無意識世界を拡大して行きます。
想像できるでしょうか。
たった一人で存在していた神様は、意識だけが展開する情緒圏で自らの存在意義を感じ取っていたのです。だからこその全知全能で有り、構想した理想は必ず実現する予定調和の圏内でしか、永遠普遍の存在を感じ取ることができませんでした。
その予定調和の中で、無限に拡大していた利己的な喜びの情緒圏に、なぜ「あちら」が生じたのでしょうか。
宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 3)宇宙の根本は愛である ①宇宙の中心は愛である
神様が天地を創造される時、どのようにされたのでしょうか。神様の相対になることができるのは、人しかいないのです。それで、自分を100パーセント投入されました。それでは、知恵の王なのに、なぜ投入されたのでしょうか。完全に投入して神様はゼロの位置、無になり、あそこは120になるので、気圧でいえば、ここは低気圧中の低気圧である真空状態になり、あちらは高気圧になるので、ひゅーと循環作用が起きて自動的な発展原則、自動的な運動原則を追求します。それで、絶えず押し込めば、こちらは巻き込むでしょう。自分を包囲するそのようなことが展開するのです。それは何をもってですか。愛をもってするのです。宇宙の根本が愛なので、このような原則により、このように展開されるのです。(196-322, 1990.1.12)
神様は全知全能の100%の知情意の思考を投じたのに、全知全能を超える120%があちらに現われたのです。神様を超え、全知全能によって予測されていた予定調和を覆してしまうほどの作用が現れたのです。
私たちの人間の知恵でも、冷静に秩序立てて考察すれば、おのずと「あちら」のみ言に真のお父様が込めた真意が分かってくるのです。
真のお父様は私たち人間の知恵でもぎりぎり突き止められるように、真の愛の真髄を解き明かす鍵を比喩と象徴の詩的文体に込められたのです。
先に引用している天聖経「真の神様」のみ言の紫文字部分に注目してください。
「神様を父だと発見したという事実は今先生が話す、神様を内的父と外的父と見て実体に一致する愛によって統一的な権限をつくろうとするその基準、確実にこの基準までは発見できませんでしたが、そんな内容を暗々裡に解明することができる標題を掲げたという事実は驚くべきものです。」
確実にこの基準までは発見できませんでしたが、そんな内容を暗々裡に解明することができる表題を掲げた、と語られているのです。
真のお父様は神様自身ですから、発見できないなどという事はありません。私たち祝福家庭が発見できるように・・・、解明できるように・・・、皆まで語らずに標題を掲げてくれたというのです。
ですから私たちが解明しなければならない真実真理を、真のお父様は私たちの責任分担として残してくださっているのです。
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