ヤマトの光さんの「真の愛の起源」に関する壮絶なかん違い!
神様は聖霊を通して、息子娘と授受作用をします。私たち一人一人と授受作用するのです。一問一答と言う形で、言葉で語りかけてくるのではなく、一人一人の生心を共有してくださり、良心に働きかけてきます。
神様の心情と私の心の相対基準が結ばれると、聖霊が生心に働きかけ、私自身の知情意の機能に働きかけて、私が思考展開したかのように、神様の思考が私の思考と一体となって現れるのです。
ですから、神様から違う人が同じメッセージを受けても、受け取った人の性格性質を通して思考展開されるので、それぞれに語る内容が違って来ます。
本来の天一国の兄弟姉妹関係においては、心にキリストを立てた相手を尊重しあって議論を進め、互いの意見や主張をまとめていくのでしょう。
ところが今は、自分の考えこそが正しいと主張し合い、批判の応酬になっています。
私においては、私が主張する「真の父母様の本体論」に対して、尊重を欠く批判が来たならばそれに答えて、その方の間違いを指摘します。
ヤマトの光氏はこれまで、私の人格や行動に対する、彼の思い込みによる誹謗中傷でしたから、取り合う事はありませんでした。
そのヤマトの光氏が、ようやく彼の考えを表に出して、「真の父母様の本体論」に対する批判をして来ましたから、ここに記事として返答します。
まず彼の記事を引用してみましょう。
**ブログ「天一国を創建する私たち」12月21日記事より引用**
433 真のお父様の「真の愛の起源」に関するみ言をご紹介します。
” 真の愛の起源が神様だ ”
「原理講論」に ”真の愛の起源“ という言葉を入れなければなりません。 ~
最後には ”真の愛の起源が神様だ” という言葉を入れなければなりません。
「原理講論」を修正できる主人公は私しかいないのです。(224-228 1998.2.24)
「愛から神様が誕生した」とブログ投稿し続けるクルト氏。
統一思想(頭翼思想) 第一章 原相論 二 神性 (一)心情 から引用します。
「心情と愛はいかなる関係にあるのだろうか、どちらも知情意の根底にあるが、心情が喜びを得ようとする情的な衝動力であるのに対して、愛は主体と対象を結ぶ情的な力である。
心情の衝動を動機として情的な力が、主体から対象に向かって(あるいは対象から主体に向かって)流れてゆく。その時の情的な力がすなわち愛である。
したがって
心情は愛の源泉であり、愛の出発点である。」
引用終了
私との
心情が先か? 愛が先か?と論争に
「愛が先です」と断言したクルト氏。「創造原理、「統一思想 原相論、のみ言を真っ向から否定し天の公認を受けずに
偽”真の父母様の本体論」として公開発表した神様と三代王権を無視した背信者(クルト、大◎◎,小〇、加〇)グループの皆さん。
菅井教は、天のお父様、真のお父様(真の御父母様)に弓を引くものとなりました。
地上で犯した罪は、地上(肉身生活で)解かなければなりません。
祈り
**引用終了**
ヤマトの光氏が、愛よりも心情が先だという主張の根拠として持ち出して来ているのは、「統一思想」の解説内容です。
また「創造原理、統一思想原相論」のみ言を真っ向から否定していると言っていますが、どちらも創造後の神様について解説しているものです。創造後の神様の解説として、その内容を否定するものではありません。
そもそも「真の愛の起源」とは、創造前の神様にあるのではないでしょうか。その「真の愛の起源」を、創造後の神様の本質を解説した原理講論や統一思想から、見出そうとする事自体に無理があります。
他の何ものをも意識していなかった神様から、為に生きる心情の神様、真の愛の神様となっていく経緯が理解できて、初めて「真の愛の起源」が浮かび上がってきます。つまり、どのような過程を経て、相対を意識する神様となったのかにこそ「真の愛の起源」があるのです。
真のお父様は創造前の神様について、すべてみ言として地上に明らかにしていると語っていました。それで真のお父様は、2010年11月22日の「天地人真の父母様定着実体み言宣布大会」において、原稿にはないみ言を語られておられたのです。
「これは(八大教材教本)見える神様の教本です。見えない神様の教本があります。私しか知らない。」「調べなさい。探しなさい。研究しなさい。」
ヤマトの光さんは真のお父様の指示に従って、見えない神様の教本として語られたみ言を探しましたか?研究しましたか?
はっきりと申し上げておきますが、神様は愛によって生まれ、相対の存在に覚醒し、対象として愛したくてたまらない衝動が湧き上がるようになりました。愛によって生まれて以降は、心情から対象への愛が湧き上がるようになりました。
ですから統一思想の説明するように、「心情が愛の源泉であり、出発点」となります。しかし、「愛の源泉」や「愛の出発点」と、「真の愛の起源」は意味するところが全く違います。
まず一般的な言葉の意味から理解しましょう。
源泉とは「1.水がわき出るもと。みなもと。2.物事が発生してくるもと。」
出発点とは「1.出発する地点。2.物事を始める最初の時点。新たに事を始めた地点。」
つまり愛の源泉や愛の出発点の意味は、愛が生じるもとは心情であり、愛が生じるところが心情だという意味になります。つまり、愛によって生まれた神様の、心情から愛が生じるということを意味しているのです。創造後の神様における、愛を発動する様相を示すものです。「もと」であり「点」です。
それに対して起源とは、「物事の起こり。始まり。みなもと。」 とあって、同じように感じる方もいるかもしれませんが、物事が起こった経緯や理由まで入っていったものです。「起こり」であり「始まり」がどのようになっているのかを問題にしているのです。
つまり再度書き記しますが、「真の愛の起源」とは次の意味を持っています。
他の何ものをも意識していなかった神様から、為に生きる心情の神様、真の愛の神様となっていく経緯が理解できて、初めて「真の愛の起源」が浮かび上がってきます。つまり、どのような過程を経て、相対を意識する神様となったのかにこそ「真の愛の起源」があるのです。
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