第4回ポイントセミナー「本形状そのものは無形の働く力」
先回記事後半より
真のお父様が語られた中に、「神様が愛によって生まれることによって、神様自体が性相と形状によって構成されるようになった」と語られた御言があります。
天聖経 宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1) 神様の二性性相の大展開
「神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されます。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。」
私たちは原理講論により、神の神性を知るためには、神様の作品である被造世界に、普遍的に潜んでいる共通の事実を探ることにより明らかにすることが出来ると学びました。
そして見いだされた真理が、神様は二性性相によって構成されているということです。二性性相には性相と形状の二性性相と、陽性と陰性の二性性相があると解説しています。
作者である神様の神性を、作品である被造世界を探ることから、神様が二性性相で構成されていることが浮かび上がりました。
その神様の二性性相は、神様が愛によって生まれることによって構成されるようになったと、真のお父様は語られています。
それでは、神様が愛によって生まれる以前・・・、つまり、自己中心的な神様として、神様のみで存在していた時には、神様はどのような様相で存在していたのでしょうか。
今回の記事は、この問題提起で終わります。次回の記事をお待ちください。
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原理講論では、神様を作者、被造世界を作品と考え、被造世界に普遍的に潜んでいる共通の事実を探ることから、作者の性稟が分かると結論付けています。
最初に共通事実として解説しているのは、人間の男女、生物の雄と雌、また万物を存在させる原子を構成する陽性陰性の性質から結論付けた、陽性陰性の二性性相です。
次の共通事実として解説しているのが性相と形状の二性性相です。
創造原理 第一節 神の二性性相と被造世界(一)神の二性性相
以上の記述によって、我々はすべての存在が、陽性と陰性との二性性相による相対的関係によって存在を保ち得ているという事実を明らかにした。さらに、我々はすべての存在を形成しているもっと根本的な、いま一つの二性性相の相対的関係を知らなければならない。存在するものはすべて、その外形と内性とを備えている。そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、そのごとくに現れたものである。したがって、内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、後者を形状と名づける。ところで、性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており、形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである。
人間であれば内性とは心の事であり、外形とは体の事となります。心の性格や思考の現れが、体における表現や行動となります。神様が創造した被造世界では、心の見えない思考や情の動きは、体を通して現れます。それでは、創造前の神様のみが存在していた世界において、神様の本性相と本形状の間にどのようながあったのでしょうか。
神様は人間の肉的五感では感覚できない存在です。また霊界でも神様そのものは見ることが出来ないと言われますから、霊的五感でも感覚することは出来ないのでしょう。感覚し心が通じるようになる為には、人間の生心が神性を帯びるようになる必要があるのです。
このことから推し量れることは、神様は被造世界の感覚では見ることも聞くこともできない存在としておられ、まったく違う感覚機能でもって喜びを感じ取っていたという事です。その上でいえることは、神様の本性相において、喜びを求めて展開する思考や情念の流れに応じて、形状が完全一体となって存在環境を作り上げることから喜びを得ていたことでしょう。神様自身が原理によって存在し、喜びを得る存在であるならば、当然、性相と形状の授受作用による一体化によって得られる以外にはありません。
ちなみに人間においての存在環境は、肉的五感で感じ取った存在環境の様相が、電気信号に変換されて脳に送られ、その電気信号によって存在環境が脳内で再現されるのです。つまり、広大な大自然の様相も、脳内で変換される電気信号から3D映像を見るように再現されているのです。

つまり、大自然の中にいなくても、閉ざされた暗室の中であったとしても、大自然の電気信号を脳に送れば、あたかも大自然の中にいるような体験ができるのです。
この例から理解できることは、創造前の神様は、本性相で展開する思考や情の流動によって、存在環境を創り出せていたという事です。ですから虚無のエネルギー空間に、陽性と陰性、プラスとマイナスの性質の違うエネルギーに分立し、千変万化の性質のエネルギーを織りなして、三次元をはるかに超えた高次元環境において、喜びの環境を創り上げていたのです。プラスを創り出せば、同時にマイナスが創出され、陽性のエネルギーを発動すれば同量の陰性のエネルギーが発動されます。そのように陽性陰性、プラスとマイナスの千変万化の球形運動で発動されたエネルギーは、神様の心が喜びを求めることによって、原理に従って自分の存在の実感が永続するように、本性相の思考や情念に完全一体化して稼働していたのです。
その神様の本性相における思考展開や情念の流動を、神様自身が存在環境として感覚するには、本形状のエネルギーはその存在を絶対無としなければならないのです。ですから、本形状の働きであるエネルギーは、本性相に完全相対して神様の存在環境を喜びとして実感させながら、本形状そのものの存在を絶対的な無であらなければなりませんでした。
結論として神様の本性相は絶対的有であり、本形状は絶対的無であったのです。創造前の神様においては、本形状は本性相そのものであり、完全一体化していたということです。
その完全一体化の喜びの境地において、神様に何が起こって「誕生」という体験をしたのだろうかという事になるのです。
参考までに・・・。第6回本体論セミナーの動画
1.神様の誕生(2)愛の種が生じた神様の覚醒!
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