偽りの虚像を作って勝手に騒いでね!真実真相真理を明確に立てれば真の愛の起源は見えてきます!
先回記事末部より
私たち祝福家庭が、人類始祖の堕落を蕩減復帰するためのアベルカイン一体とは、アベルとカインが互いに相手の真の愛に屈服することによって、蕩減復帰が成就することになるというのが真相です。
このアベルカイン一体の蕩減復帰を、完全勝利されたのが亨進様と国進様です。亨進様が2007年から翌年にかけて、日本祝福家庭を巡回訪問されました。その時に、日本の食口の真のお父様への信仰に、自然屈服して聖人とまで称してくれました。亨進様が日本食口のお父様への信仰姿勢に自然屈服し、また日本食口も亨進様の姿勢に自然屈服したのです。その時に、亨進様の生心に聖霊が臨み、真のお父様の生心に臨在する夜の神様を感じ取られたのです。
そこでポイントは、互いの心に真の愛の実体であるキリストを感じ取ることを通して、心門が開かれるようになったということです。ただし、日本食口達は亨進様と共に歩めるわけではなく、中心性一体化の全体主義に呑み込まれて行かざるを得ませんから、聖霊が臨むには環境が整っていませんでした。
回りくどい説明になっていますが、今まで考えたこともない内容でしょうからしょうがありません。
神様の心情の動機の世界まで入ると、愛したい心情の動機と真の愛に絶対服従して生きたい心情の動機が一体となって、心情が形成されています。つまり、私たちの心情の動機もそのようになった時から、神性を帯びるようになるという事なのです。
ですからアベルカインによる一体化の路程は、実は真の愛に絶対服従して生きたい心情の動機を復帰するためのものであったのです。真の愛の実体であるキリストへの絶対信仰・絶対愛・絶対服従は、アベルカイン一体を勝利したところから始まると言って良いでしょう。
ですから私の表現では、「神性が生じて聖霊が感知できる」と書き記したのです。聖霊が臨んで導いてくれるようになるので、神性はますます神様の心情と通じるようになって行くという事です。
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先回記事で取り上げた山下氏の質問を再度取り上げます。先回記事で、聖霊と神性について解説する為に原理講論の一節を引用しました。私たちは統一教会・家庭連合時代から聖霊は心に宿るものだと学んでいたのです。そのことを確認した上で、コメントを読みましょう。
※ 山下氏からの質問 ※
諸星くるとさんへ
「生心に神性が生じない限り、聖霊は感知できません。」とありますが、神性とはどのようなことを意味しているのでしょうか。
神性を宿さず、聖霊つまり神様の本形状を感知できない状況というのは、創造前の神様に近い状況のように感じましたが、そうでしょうか。
つまり、愛によって生まれた神様というのは、神性が生じた神様ということでしょうか。
この考え方があっていれば、神性というものが、なんとなく紐解けるかなと、質問していました。
よろしくお願いいたします。
**質問終了**
今回の記事では、質問の次の部分に重点を置きます。
「つまり、愛によって生まれた神様というのは、神性が生じた神様ということでしょうか。この考え方があっていれば、神性というものが、なんとなく紐解けるかなと、質問していました。」
統一思想で「神性」について解説している通りに、全知・全能・永遠・普遍も神様の属性としての「神性」ですから、創造前のたった一人でおられた神様は、まさに全知全能であられました。その意味での神性は、愛によって生まれる前も後も変わりません。ただし、全知全能でありながら、対象となる人間に責任分担を与えましたから、ある意味、真の愛を実現するにおいて、自分自身の全知全能は捨ててしまったと見ることが出来ます。つまり、対象の為に生きることは全知全能によって得る喜びよりも大きいという事になります。
その神様の心の変化を可能にしたものこそ、対象を創造するにおいて覚醒した、「真の愛に絶対服従して生きたいと願う心情の動機」です。絶対主体としての「愛したくてたまらない心情」と、絶対対象としての「真の愛に絶対服従して生きたい心情」が、神様の心において一体となって、初めて神様の心は真の愛が生じる心情となることが出来たのです。
この二つの愛の方向性をもつ心情が、夜の神様において完全一体となったので、対象と言う存在の創造が可能になったのです。
この一体となった心の向かう姿勢こそが、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」なのです。言葉で言うのは簡単ですが、実際にその心情の動機を体恤する為には、信仰基台と実体基台の「メシヤの為の基台」が必要だったのです。神様の前に信仰を立てた者同士が、互いに真の愛で一体となり、互いに自然屈服し合う事により、その一体となった真の愛の中心に聖霊が働き、そこにキリスト(メシヤ)が立つようになるのです。
二代王様が語られる、心にキリストを立てるという事は、実はこのような意味と意義を持つものであったのです。ですから、ただ信じるだけでは意味が無いと言って良いのです。
この祝福家庭一人一人にとって実質的な「メシヤの為の基台」は、日々の生活の人間関係のなかで常に成就するべきものなのです。
一人一人の存在を尊重する心情的環境圏で、この内容は実現されるようになります。だからこそ、二代王様は全体主義や中央集権体制ではない、一人一人が天一国市民として尊重される分散型の聖殿を願われているのです。
質問をいただいた内容の観点からすれば、神様が絶対主体としての「愛したくてたまらない心情」から「真の愛に絶対服従して生きたい心情の動機」に覚醒した事実が、愛によって生まれた神様に「神性の核心」となる「心情の動機」が生じたという、尊い真の愛の起源となるのです。
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