天一国心情圏ブログ

天宙平和統一国の指針!真の父母様の本体論と絶対性教育により天一国市民の資格を得る!

第11回ポイントセミナー「絶対孤独の暗闇の境地で覚醒された真の愛の原点!」

諸星くると

先々回記事(第10回)末部より


本形状のエネルギー自体が、神様を包み込んで来たわけではありません。


本性相に対して、完全なる絶対服従性をもって作用する本形状の存在意義が、神様の知情意を刺激したのです。その情的刺激を神様が知情意の思考展開によって実感したことから、永遠無限の神様を超越して包み込んでくる真の愛という、存在理由の根源にある喜びの意義を、神様は創出することが出来たのです。


ですから真の愛とは、存在そのものではなく、主体と対象の存在関係において現れて来る、互いの存在意義なのです。つまりは、真の愛は誰のものでもないけれど、全ての人々と神様との関係性に、その中心として顕現し、それぞれを主管してくれて、その上でそれぞれの存在意義となるものなのです。


神様の思考回路に主体と対象の位置が確立した時、互いに一つになるために包容包括し合う喜びの境地が広がったのです。互いが絶対服従し合いたい喜びの意義として、真の愛が神様の心に広がり現れたのです。その愛に包み込まれた時に、対象を愛したくてたまらない「愛の種」が神様の心に生じることになったのです。神様は愛によって生まれ、真の愛の源泉としての心情を獲得したのです。


ところが、獲得した心情から、対象を愛し包み込みたい衝動が湧き上がるほどに、それ自体の形を持たない本形状を、包み込むことも出来ないし発見することも出来ないのです。対象を意識し焦点を合わせようとするほどに、無限大の極限で発動する愛の衝動が、果てしれない暗闇の虚空に掻き消されてしまうのです。


そこで神様は、絶対孤独の境地に落ちていくのです。360度から喜びに包み込まれた感覚を味わいながら、その包み込んで来た存在を包み返そうとした時に、その存在はどこにも無く、全知全能の絶対者であった神様が、絶対孤独の境地に落とされたのです。


この真実を知り、受け入れることが出来たならば、真の愛における心情革命を、まずあなた自身から起こすことが出来るのです。


先回記事(番外編)重要部分


このように、夜の神様が体験した「絶対孤独の悲しみの境地」を、私は2003年8月に体験的に教えられていました。当時はまだ、夜の神様と昼の神様というみ言も語られていない時でしたが、山形県の霊山・月山に登った時に、その頂上付近で神様からの啓示を受けたのです。


雲一つない青空の純粋な青が、落ちてくるような感覚で私を包み込んできました。そして、神様が誕生する経緯で体験された、愛したくても愛する者がいない悲しみの心情が伝わってきたのです。その青空の青い光の色の深奥には、無の暗闇の境地に比喩される神様の絶対孤独が広がっているのです。その神様の孤独が深いほどに、神様の心情から、永遠無限の真の愛が降り注がれ包み込まれるのです。


  *****


創造前の自己中心的な神様にとっての喜びは、自分の願望実現のための構想が、そのごとくに実現展開することでした。知情意の思考展開の限りを尽くして構想構築する存在環境が、そのごとくに実現して、神様自身の喜びとなっていました。


神様の自体内において、主体となっていた本性相の思考展開・情念流動のままに、本形状は完全相対し絶対無の存在となって、エネルギーを展開する機能あるいは作用としての存在意義を持つものでした。


その本形状の機能と作用は、本性相の内的形状に発動源を持っていると言って良いでしょう。


本形状については、統一思想要網1993年11月初版において、次のように解説されています。


統一思想要網 第一章 原相論 一 神相(一)性相と形状(2)形状


 神の形状は、神の体に相当する部分であり、被造物の有形なる物質的側面の根本的な原因となっている神の属性である。形状は一般的にいう質量に相当するものであるが、それはすべて被造物をつくっている素材であると同時に、無限なかたちを現しうる可能性である。
 
 人間、動物、植物、鉱物の物質的側面の根本原因が神の形状であるが、これを言い換えれば、神の形状が次元を異にしながら被造世界に展開したのが、人間の体、動物の体、植物や鉱物の物質面(物体)である。すべての被造物の有形的側面は物質(質量)と形態からなっているが、その根本原因になっているのが神の形状における素材と無限なかたちの可能性である(かたちの原因は内的形状にある)。


被造世界の全ての個性真理体の根本原因となっている神様の形状、つまり本形状は「素材と無限なかたちの可能性」と解説されています。


最近の統一思想院では、これを「一つは素材(質料)的要素であり、もう一つは無限の形態を取ることのできる可能性(無限応形性)である」と表現しています。


この本形状の「素材的要素」と「無限応用性」を発揮させているのは、本性相内の主体的部分である内的性相と、対象的部分となる内的形状の授受作用によるものです。内的性相である知情意の機能と、内的形状である観念・概念・原則・法則・数理性とが授受作用により一体となった思考展開・情念流動に対して、本形状の前段階エネルギーが絶対的相対基準を造成して、素材的要素を発揮させ無限応用性によって神様の願望を実現するのです。


自己中心的な神様には、対象としての本形状は形を持たないものであって、絶対無の存在でなければなりませんでした。ですから、対象を愛したいと願ったその時点では、その対象の存在としての形が絶対無であり、構想に立てようもないものであったのです。


本性相の思考において、全知全能の絶対者としてどんなに対象に思いを巡らせても、なんの手応えもなく、虚無の暗闇がどこまでも無限に広がっていくばかりです。包み込まれた喜びが無の暗闇に充満する、まったくの透明感の極みにおいて、夜の神様の心をとらえた意義がありました。その絶対無である本形状に存在を与えるのは、それ自体の形状を持たない素材的要素に、無限応用性を発揮させる絶対服従性なのです。自己中心的な神様を包み込んで来た存在こそ、存在というものではない絶対服従性という性質だったのです。この絶対無で絶対服従の働きこそが、絶対孤独の境地で悟った対象としての存在の喜びの境地なのです。


本形状の絶対無で絶対服従の働きが、夜の神様の情緒を激しく刺激してくるのです。その性質が本性相内の内的性相と内的形状の授受作用の根底にあるものだと、爆発的な感激から悟られた時に、神様をも包み込んでくる真の愛の世界が広がったのです。そこから、真の愛への構想理想を求めるほどに、神様の心情はより大きく深く広がり、自分自らの誕生という実感が湧き上がったのです。


夜の神様は誕生と共に、対象としての存在の原点を掴んだのです。



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