三原氏の理解の範疇を超えた真理なので彼が<菅井詐欺テクニック解説編>と題し試みる面白さ!
昨日の三代王権天一聖殿ブログ記事「キリストを悪用する菅井教の巨悪と詐欺犯罪」<菅井詐欺テクニック解説編>という、またおどろおどろしい題名の記事を書いてくれた三原氏です。
興味のある方はぜひ、三原氏の主張を良く吟味しながら読んでみて下さい。菅井睦雄を批判する名目で書き綴っていますが、実のところ真のお父様のみ言への批判をしている事になっています。
おそらく読み進めようとする方々は数行、数十行と読み進めるうちに、理解しようとする気持ちもうせてしまうでしょう。おどろおどろしい題名と、これまたおどろおどろしい画像のイメージで、この記事を作成した三原氏に嫌悪感を抱く人もいれば、彼の狂気じみた怒りが矛先を向けている菅井に対して、嫌悪感を抱く方も出てくるでしょう。
彼が批判する項目の間違いを、一つ一つに提示する気はありません。真実真理を追究する時間がもったいないです。
三原氏は彼なりの原理原相論試論を提示していますが、それを正しいと受け入れる人はごくわずかでしょう。私たちは氏族メシヤ王王妃として、お父様と一体となっている証しとして王冠を頂いています。一人一人が神様から授かった個性を持っており、真理の解釈も本体論の解釈も一人一人違うはずです。
その個性の違いを尊重するのが、天一国なのではないでしょうか。だからこそ、二代王様は分散型が発展すると教えてくれているのです。
私たちは氏族メシヤ王王妃として、誰かの支配を受けるようにはなっていません。一人一人が真のお父様をキリストとして心に迎え、その聖霊の臨在によって導かれることにより、すべての兄弟姉妹は心情一体となって生活し活動するのです。
氏族メシヤ王王妃の心にキリスト(聖霊)が臨在するならば、互いに尊重し合いながら、キリストのもとに一体となれるのです。たとえ、神観や原理観、信仰観において個性の違いから、事を勧める方策に異なるところがあったしても、協力し合い補い合いながら同じ目的に向けて進めるのです。
三原氏は彼の1月14日ブログ記事において、中村仁史氏のブログ「統一原理マスタークラブ」に記された「キリストは創造前から存在する」ことについて解説した記事に共感したと、その記事を引用していました。
しかし、中村氏の主張のその部分には共感するでしょうが、聖霊聖神をエバの神性・女性神とする解説や、「真のお父様の聖和は十字架」だったと結論付けてしまう事になる、中村氏の摂理的同時性の捉え方には賛同できないはずです。
にほんブログ村にブログを公開している方々や、日本のサンクチュアリ教会の各聖殿のリーダーの方々には、それぞれの神観原理観信仰観があります。それぞれお互いに、あの聖殿リーダーこそが正しい神観・原理観を持ち、本体論を講義できると推奨し、自分の聖殿の信徒に講義してほしいと依頼できる方はいるでしょうか。
独立聖殿のリーダーであれば、他の聖殿のリーダーに頼むよりも、自分で講義し講和し説教するはずです。または、それぞれの講義や説教には得意分野もあるでしょうから、そういう意味ではテーマを決めて他の聖殿リーダーに依頼することもあるでしょう。
分散型の聖殿のありかたが確立し、それを支える為の本部と言いう体制が推進されるようになれば、リーダー達の間でも得意分野において支え合い協力し合えるようになれるでしょう。
それはお互いに、神様から与えられた個性を認め合う関係になれてこそ、はじめて実現できるようになるものでしょう。
真のお父様は再臨主として立ちながら、キリスト教に受け入れられず、蕩減復帰路程とならざるを得なかったその時から、真のお父様が霊界に行ってからの作戦まで考慮して歩まなければならなくなりました。
そのことは、1976年9月6日のみ言で明らかにしています。
1976年9月20日、ワシントン大会後ベルベディアで
「先生が生きている間に、統一を成し遂げるかどうかというのは、小さな問題である。仕事は続くのである。そして先生は霊界にいようが、地上にいようが、その中心となっている。先生の思想、先生の戦略、先生の伝統、先生の心情は、問題なく、統一の世界を目指しておる。先生が死んで霊界に行ったとしても、いつでもあんた達に現れてあげる。この地上に、同じ様に伝統を持って、完全な神の国を造るまで、これが先生のやっている一番重要な作戦だ。先生のやっているのは、十年先のためではない永遠を基準として作戦を立てているのだ。先生が地上にいようが、霊界にいようが、そんなことは問題ではない。」
「先生が地上にいようが、霊界にいようが、そんなことは問題ではない。先生は、霊界の組織、霊界のシステム、霊界の様子を熟知している。あんた達には見えないけれど。あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。先生はその時間表をはっきりと知っている。必ず来る。新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。」
三原氏が我知らずに、自分の認識を最優先して原理原相論試論を構築してしまった要因は、このみ言に示された真のお父様の「一番重要な作戦」を見落としている事にあります。
ここで語られている「霊界にいってから祝福家庭に現われてあげる」というみ言を実現可能にするために、霊界の組織体制と霊界のシステムを完成させる為の摂理的作戦を遂行されてきたのです。
二代王様が語られる「お父様の勝利によって闘う。すでに勝利した闘い。」という意味と意義は、真のお父様が聖霊の働きにより、一人一人の生心に臨在できるシステムによって闘うということなのです。お父様が臨在するのではなく、聖霊が臨在するのです。お父様と聖霊は一体なので、結局、真のお父様が一人一人を導くということなのです。
ですから真のお父様が地上において、比喩と象徴の詩的文体で語られたみ言の真意を、真のお父様が聖霊の働きを通して一人一人に教えるということなのです。真のお父様の声が聞こえるわけではありません。一人一人の心の知情意の機能そのものに働きかけてくるので、自分自身の理解度が高まり、神性が覚醒していくようになるのです。聖霊と良心が一体となって働き、真のお父様や二代王様のみ言に込められた真意が、理解し実感できるようになるのです。
どんなに優秀で理論的知的解釈が優れていても、聖霊によって良心が導かれるようにならなければ、真のお父様がみ言に込めた真意に至れないのです。
真のお父様は神様の誕生について次のように語られています。
**2004年4月19日真のお父様のみ言より**
それでは、神様ご自身も、生まれるために心と体が一つになったのと同じように、その心と体が真の愛を中心として一つになっているので、真の愛を中心として心と体のようなものが、小さな所から大きくなってきたということです。
神様も大きくなっていったのです。神様も大きくなり、アダムとエバが造られる時までにはすっかり大きくなり、もう一回り回って、すべて包括できる立場に入ってきたのです。無形の神様は、実体対象圏と関係を結ばなければならないのです。
無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。「創造原理」を中心として、神様はどのような存在としていらっしゃるのでしょうか? 二性性相の中和的存在です。格位では、男性格を備えた存在であるのです。これは偉大な言葉です。神様が二性性相の中和的存在として、心と体が一つになり、神様を中心として胎内にいる双子と同じです。
真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。
ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包括し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。
それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。
ですから、骨と肉がこのときは縦横を中心としているので、心と体のようなものが、無形ですが、骨と肉のようなものが、縦的な垂直と横的な平衡を中心として、愛を中心として大きくなっていくのです。
**引用終了**
神様は創造した人間と同じように、腹中の胎児のように成長し誕生したと語られています。見えない宇宙と言う胎があり、そこで精子と卵子が結合し、神様が誕生するに至ったのだと語られているのです。
神様に母がいるわけでもないのに、真のお父様は胎を通して神様は生まれたと語っているのです。このみ言において、「骨」は何を比喩し、「肉」が何を比喩し、「軟骨」が何を比喩したものなのかが分からなければ、真のお父様が「胎」と表現した「見えない宇宙」の意味が見えてこないのです。
三原氏がどんなに優秀であろうとも、人間の知恵と認識と理論展開では、とうてい理解することができません。
真のお父様は比喩と象徴による詩的文体によって語られたみ言で、八大教材教本にも盛り込めなかった究極的真理を、すべて地上で語り尽くされて行かれたのです。
天一国を実現していくために、祝福家庭としての責任分担を果たして、二代王様三代王様に捧げなければなりません。
互いに批判し合い、ののしり合い、未来に向ける心の眼、天一国を見ようとする心の眼を曇らせている場合ではないのです。
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