天一国心情圏ブログ

天宙平和統一国の指針!真の父母様の本体論と絶対性教育により天一国市民の資格を得る!

批判誹謗中傷の地獄の道行きに感謝感謝の嵐の結実としてのみ言「創造の神として現れるまで」!

諸星くると

現在のサンクチュアリにおいて、真のお父様が「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストであることを、正しく理解することが最も重要なことです。


つまり、神様と聖霊と三位一体で、神様そのものの存在となっている真のお父様の存在様相が明確にならなければ、一人一人の食口の信仰が始まらないのです。当然、お父様への心情も伴っていかないことになります。さらにさらに、二代王様が「お父様の宝血」と訴えても、その意味と意義が理解できないまま口にしているということになるのです。


真の父母様により祝福を受けた者が、基元節前に真のお父様の生心に夜の神様が臨在しておられることを、誰よりも早く実感しアベル圏を築かなければなりませんでした。


2013年2月22日の基元節を勝利的に迎えるためには、祝福家庭がその事を理解することが必須であり、それを理解する為に行われた「神様摂理史の責任分担解放圏完成宣布教育」としての、原理本体論教育であったのです。


この2008年10月10日から2012年まで行われた原理本体論教育では、真のお父様が願うような教育が行われませんでした。


そこで真のお父様は、2012年4月25日に原理本体論講師の劉正玉氏に対して、次のように命じられていたのです。


2012年4月25日 天正宮にて

「劉正玉!(はい!)本体論教育は劉正玉!(はい)本体論教育は劉正玉が責任をもったでしょう?(はい) - 中略 -今回の話の中で本になかったこと、あなたが言いたい事、先生が話さないようにとしたものまでも全てしてしまいなさいというのです。先生のみ言葉の中で教えなかったことはありません。すべて話しました。」


劉正玉氏が解説する本体論に、最も重要な内容が含まれていないので、真のお父様は全て明らかにするように命じたのです。その最も重要なこととは、夜の神様昼の神様の解釈から理解できるようになる「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの様相であったのです。


真のお父様は「み言の中で教えなかったものはない。すべて話した。」と語っていますが、それは2010年4月4日のみ言を指しています。


この2010年4月4日の「重生・復活・永生の祝福式による入籍」と題されたみ言において、創造前の神様について克明に語られています。比喩と象徴の詩的文体によるみ言ですから、通常の概念や観念からの視点で読んでも意味不明です。


しかし、このみ言において「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相について、比喩と象徴を用いて表現しているのです。


真のお父様はキリスト教が背信して以来、「父と子と聖霊の三位一体」について、みずから語ることは出来ませんでした。洗礼ヨハネの証しがあって、初めて自分自身が神様そのものだと語ることができるのです。


ですから、真のお父様が「聖父・聖子・聖霊の三位一体」について語るにも、洗礼ヨハネ的人物・・・、つまりアベルの位置に立つ人物の証しが必要なのです。


2010年4月4日の前に、洗礼ヨハネとしてキリストである真のお父様を証しした方が、当時世界会長であった亨進様です。亨進様は2010年2月23日に、日本祝福家庭巡回路程での体験を証ししています。


 **2010年2月23日亨進様による日本祝福家庭訪問の証から抜粋引用**


 ホテルを準備しないでください。私は教会に行きます。教会で寝ます。そして、共に祈り、共に敬拝を捧げ、共に修練し、共に信じていくと(泣きそうになるのをこらえるが、涙が出る。ティッシュで何度か鼻をぬぐう。目が赤い)日本の食口は本当に私の人生を変えました。全ての兄弟姉妹が生きた聖人でした。(たまらず鼻を大きくかむ)


 私は悩みました。この生きた聖人たちを霊的に指導する立場にあったからです。最低でも私の何百倍、何千倍もの基準の人々をとても大変でした。


 私の目はまだ真の父母様を霊的に見えていませんでした。原理を教え説教しながらも異常なジレンマにとらわれ、身をゆだねるしかありませんでした。この生きた聖人たちに少しでも影響を与えうるならば、お父様、私自身の力からは出てきませんと。


 そうして私はさらに激しく精誠と祈りを捧げるようになりました。すると、完全に変貌した真のお父様の姿が見えたのでした。変貌山でイエスが弟子たちの前でモーゼとエリヤを従えながら、自ら本当の姿を現したように・・・。


 **引用終了**


この証しで「完全に変貌した真のお父様の姿が見えた」と語られていますが、この証しこそが生心に夜の神様が臨在している真のお父様の御姿の証です。


この証しを、洗礼ヨハネとして、アベルの位置での勝利的条件と認めて、真のお父様は「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相を、比喩と象徴を用いた詩的文体で語られたのです。


そのみ言こそ、次の内容です。


  **2010年4月4日米国ネバダ州ラスベガス天和宮抜粋引用**


1. 創造の神として現れるまで

 夜の世界にいた神自身が創造の神として現れるまで、何億年も過ごしてきました。


 ですから、最初は見えない神として存在していたことを理解する必要があります。神も成長してきたのです。無形の神が育って形を備えた立場に立ったわけです。見えない核が見える対象として現れたものが創造主ということです。


 見えない夜の神が動機となり、根として、見える神として現れるにはどうする必要があったでしょうか。見えない地下の基準から地上に繋げられるものが根です。木と同じです。


 実体としてアダムとエバを創造しましたが、アダムとエバとは主体と対象、親子関係の縁を中心にして、横の基盤である水平世界において一つにならなければなりませんでした。


 結婚した夫婦が一つにならなければ、霊的な夫婦も生まれません。無形の神も父となり、母として生まれるのです。神の身体に代わって作られたアダムとエバも育って一つになる必要があったのです。


 今日でも、神が人間を息子や娘の立場に立たせ、親子関係の縁が成立することで、その基盤の上で男と女が一つになることができます。神との親子関係が成立したあとに、夫婦関係が成立するのです。それが愛の家庭として成長していくのです。


2. 闇の群れとは何かというと、光です。

 個人時代・家庭時代・氏族時代・民族時代・国家時代へと成長していきます。アダムエバとは、親子関係や夫婦関係を中心とした家庭のモデル型を中心に据えて、地上に定着させるために作られたものです。


 見えない世界と見える世界を焦点を合わせて、それに繋がるとどうなるでしょうか?上限と下限が分かれます。上限とは何かというと、見えない神として母と父、親の位置です。その次に対応するのが左右です。


 これを逆にすると、女性が先になります。上下・左右ではなく、上下・右左でなければなりません。つまり、逆になったということです。本来男性が右側に来るべきところ、女性が右側に来ます。女性によって逆になったのです。それが大きな問題となりました。


 太陽があるなら、太陽にも月の輪(ハロ)のようなものがあります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本を、月の輪がなければ解説できません。  

 

 闇があるなら、その闇の群れがあるということです。真っ黒な闇の群れは光です。闇と光は違いません。闇の群れとは光のことです。こんな話、初めて聞きますか?

 

 光はどこから生じたのでしょうか?七色を合わせると黒色になります。光は闇の何でしょうか?闇の何かといいますと、群れです。物や光があると群れがあります。それを理解しなければなりません。


 これから理想世界はどうなるでしょうか?二つが合わさると、闇でもなく昼でもありませんが、水平線に太陽が昇る前にすべてが見えるのと同じです。


 北極や南極は6か月間闇の中にあります。朝と夜の間で生活することを知っていますか?北が6か月間闇の中にあると、南はすべて見えます。太陽は見えなくても、群れの光は見えるということです。


 では、これから神様は何をなさるのでしょうか?光になることもでき、闇の主になることもできます。その二つが合わさって月の群れのようになります。光があれば、必ず何かがあります。それは闇の群れが光であるということです。光はどこから出るかというと、闇から出ます。光からは出ません。それを理解する必要があります。


 だからこそ、神様も暗闇の中で月の群れのような時代がありました。神様を知らなかったのです。月の群れの実体があるとき、暗闇にいた神様はその月の群れのようだったのです。男の前にある月の群れのようなものとは何ですか?似ているから合うのです。それは女です。女の前に群れのようなものは男です。それを知らなかったのです。

       

 では、どうやって一つになるのでしょうか?そういう人になるとはどういうこと?それは知識でも権力でもありません。それは愛、愛だ。愛は私を焼き尽くし、後で灰に変えてしまう。燃えなきゃいけない。


 もし木材が燃えたら煙が出ますし、その後どうなるのでしょうか?熟した柿のように、それは赤い柿のようになります。男性が女性の集まりになれるとは思いませんし、男性が最高だと思います。


  **引用終了**


このみ言の中で、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相について説明しているのが、次の部分です。


「太陽があるなら、太陽にも月の輪(ハロ)のようなものがあります。それを重要視しなければなりません。宇宙の根本を、月の輪がなければ解説できません。闇があるなら、その闇の群れがあるということです。真っ黒な闇の群れは光です。闇と光は違いません。闇の群れとは光のことです。こんな話、初めて聞きますか?光はどこから生じたのでしょうか?七色を合わせると黒色になります。光は闇の何でしょうか?闇の何かといいますと、群れです。物や光があると群れがあります。それを理解しなければなりません。これから理想世界はどうなるでしょうか?二つが合わさると、闇でもなく昼でもありませんが、水平線に太陽が昇る前にすべてが見えるのと同じです。」


太陽の回りに輪となる日暈(ひがさ)と、月の回りに輪となる「月暈(つきがさ)」は、簡潔に説明すれば次のようになります。

太陽は光を放ち、地球の生命体に生きる環境を作ってくれています。この太陽を、天宙において真の愛を発動している「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の神様に例えています。


その太陽に対して、太陽の周りを囲むように現れるハロ現象による光の輪は、真の愛を受けて生きる人類を意味しています。


詳しくは説明すれば太陽は、神様とキリストが一体となって被造世界に光を注ぐ真の愛の発動体となっている事を比喩しています。被造世界の全てに対して、真の愛を発動しているのは夜の神様です。その真の愛は神霊となって万物を存在成長させているとともに、聖霊となって人間の一人一人に注がれています。つまり、聖霊が太陽の放つ光に例えられているのです。その聖霊と授受作用して真の愛の心情を備えるのが人間一人一人だということです。


太陽に例えられた「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相は、神様の構想理想を実現することによって顕現するようになります。それに対して月と月暈によって比喩されているものは、まだ光を放つことができない月に比喩したものですから、構想に入る前の段階であることを比喩するものです。真の愛の世界を実現する為の、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」と「神様と真の父母の三位一体」の原点となる鍵を、掴んだ段階であることを意味するのです。


その鍵とは、主体と対象が真の愛に絶対服従して一体となるということです。神様は愛の対象を自分に従わせるのではなく、互いが真の愛を中心として、真の愛に絶対服従して愛を与え合う事によって喜びを得ようとされたのです。その重要な天一国を開く鍵を得たからこそ、夜明け前・・・、つまり誕生前の神様の状態と言えるのです。


それで真のお父様は、次のように語られました。


「では、これから神様は何をなさるのでしょうか?光になることもでき、闇の主になることもできます。その二つが合わさって月の群れのようになります。光があれば、必ず何かがあります。それは闇の群れが光であるということです。光はどこから出るかというと、闇から出ます。光からは出ません。それを理解する必要があります。だからこそ、神様も暗闇の中で月の群れのような時代がありました。神様を知らなかったのです。月の群れの実体があるとき、暗闇にいた神様はその月の群れのようだったのです。男の前にある月の群れのようなものとは何ですか?似ているから合うのです。それは女です。女の前に群れのようなものは男です。それを知らなかったのです。」


神様を太陽に例えれば、ハロ現象による虹色の光の輪は、個性真理体として誕生する人類を意味しているのです。それに対して月の輪となる月暈は、人類を構想する前の神様の愛する対象としての個性真理体の群れとなるのです。


月暈については2010年4月28日のみ言で、さらに詳しく解説しておられます。


2010年4月28日真のお父様のみ言より

【 日差しが当たると、影ができます。自分の形に似た影ができるのですが、日差しの当たる角度によってその形は変わります。そういった反対の像がなければ、存在しないということです。「月暈(つきがさ)!」を考えましょう。「月暈!」の群れとは何ですか?模様(文様)のことです。月暈については、月を見て悟るということです。丸いものだけが好きなわけではありません。こうやって見ると、大きく見えたり小さく見えたりします。】

【 私の心の中で『月が大きくなる』と思うと、大きく見えます。地球から月まで38万キロありますが、近くにあるかのように大きく見えます。心で見て『大きくなる』と思えば、月よりも暈の方が大きく見えます。月暈だからと言って偽物というわけではありません。私の立場によっても、大きくなったり小さくなったりします。千差万別で、向き合う立場が違えば、暈を感じることも全く違うので、視点も違えば話す感じも違うのです。】


神様は愛し合う対象である人類が、このみ言で比喩される影のように一体となっていなければ、存在していないと同じです。月暈を見れば、薄明りの輪になっていますが、このみ言では構想理想において構築されるであろう、人類の個性真理体の集まりとしての輪に例えられているのです。


闇は神様の本性相の知情意を例えており、本形状のエネルギーが働き、神様の意識上に思考展開を顕現させます。ですから、本性相が夜の神様そのものとしての闇と例えられ、そこから光が出てくると語られているのです。つまり、本性相において構築された構想理想に従い、本形状のエネルギーが万有原力となり、光の世界である被造世界を創造し顕現させるようになって行くのです。


真のお父様は2010年以降、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」を展開していくとともに、創造前の神様についてのみ言を語り続けてくださっていたのです。


そのみ言を亨進世界会長が、真のお父様から一対一で直接的に指導を受けて、その結実を2012年1月29日に「夜の神様昼の神様の解釈」として公表してくださったのです。


「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相が、天一国創建の重要核心であることを掴んだ亨進世界会長をアベルとして、祝福家庭が完全一体となってこそ、2013年2月の基元節は勝利的に迎えられたのです。


そのことを理解できずに、祝福家庭はアベルカイン一体の勝利基準を立てることができませんでした。そのことを母子協助の失敗とサタンは見なし、祝福家庭と同じ昼の神様に管理される立場の真の母を奪うのは当然のことです。


祝福家庭はアベルカイン一体の条件を立てることができませんでしたが、祝福家庭に代わってカインアベル一体の勝利基準を立てた亨進様と国進様の勝利的条件が立ちました。このことにより韓氏オモニに代えて、康賢実女史を真の母として立てる道が開かれたのです。


私たち祝福家庭はその事を悔い改めて、今こそ、創造前からの神様の誕生の経緯を理解しなければならないのです。


台湾摂理を勝利に導くには、真のお父様の最重要な願いとなっていた、祝福家庭の「聖父・聖子・聖霊の三位一体」への覚醒が必要なのです。


真のお父様が送ってくださった地獄の道行きで、真のお父様の核心的な創造前の神様についてのみ言に、私を出会わせてくださったのです。


このみ言が与えられた事により、「真の父母様の本体論」本編へと進める道が開かれました。


批判、及び誹謗中傷してくださった皆様にも、共鳴共感してくださった皆様にも、心より感謝いたします。



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