天一国心情圏ブログ

天宙平和統一国の指針!真の父母様の本体論と絶対性教育により天一国市民の資格を得る!

全知全能の絶対者としての神様であるならば当然辿り着く最大極限の善なる欲望希望の境地!

諸星くると

先回記事重要部分


たった一人で存在していた神様は、本性相の知情意の思考展開を、本形状のエネルギーがその存在を絶対無として完全具現化していました。存在を無にしていた本形状に対して、相対として受け止めて感謝の心が溢れたがゆえに、本形状の完全具現性の機能を、本性相に対する絶対服従性として感受することが出来たのです。


本形状に対して絶対服従性として受け止めることが出来たということは、本性相における知情意の思考の内奥から、絶対服従することの意義が湧き上がってきたということです。あらゆる思念が完全にゼロになり、無の境地になった心において、相対に対して感謝する情念が湧き上がります。すると、相対として意識された本形状から、声ならぬ声として本性相の意識を刺激してきたのは、「主体の純粋無垢な愛に対して絶対服従する事の喜び」であったのです。


本性相の内的性相と内的形状で、真の愛に絶対服従する事の意義が共鳴した時に、本性相と本形状は真の愛を中心にして循環運動を始めたのです。


神様の心の内で展開された一連の出来事を、真のお父様は次のように表現されたのです。


「愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。」


この「真の愛に絶対服従して生きる喜び」を心情の動機とすることによって、夜の神様は宇宙創造のための「発展原則と運動原則」を手に入れられたのです。


  *****


創造前のたった一人で存在し、他の何ものをも意識していなかった神様が、どのような経緯を辿り相対を意識するようになったのかを解説してきました。それは真のお父様がすでに、み言において語られていたものでした。


神様の核心は、真の愛を中心とする心情です。相対を意識することにより、神様の情緒圏は愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動で満たされるようになりました。


その心情を充足させる喜びこそが、神様の創造目的だというみ言があります。


宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1)神様の二性性相の大展開

 ③神様の宇宙創造の動機は愛

 愛の中心は神様なのです。宇宙生成以前からいらっしゃる、唯一的であり、永遠的であり、不変的な存在なのです。ところで、愛は心情の流れです。内的な心情が外的に流れるものが愛です。ゆえに神様の本質は心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。この根本原因からの宇宙の生成が、正に神様の宇宙創造だったということは言うまでもありません。


 それでは、神様は、どうして宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。それは、神様が心情をもっていらっしゃるからです。心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が展開するためです。ところが、その創造には必ず目的があるのですが、その理由は、本来心情というものは目的を指向するものだからです。ですから、創造目的は、心情を充足させる喜びであるといわざるを得ません。そして、この喜びは、被造物、特に人間が神様に似た時に訪れるのです。


 ゆえに神様の愛と創造性に似た人間と国家が、神様が創造しようとされた目標だったのです。これは、人間の理想がそれを追及することを見ても知ることができます。理想とは、当然、享有するようになっている世界を追及する熱望なのです。(65-258, 1972.11.26)


神様の心情を充足できるのは、真の愛しかありません。充足とは満ち溢れる事ですが、愛によって満ち溢れるとしたならば、内部に満ちるだけでは充足するとは言えません。それで包容感と包括感なのです。愛に満ち溢れ、愛で包み込み、愛で包み込まれ、さらに包み込むことであり、この主体と対象の無限の授受作用こそが天宙に満ちる真の愛となるのです。


この包容感の出発点が、神様の誕生の経緯のどの段階にあるのかといえば、他の何ものをも意識せずに存在していた神様の、知情意の思考展開のための授受作用に内包されていたものなのです。


神様は知情意の思考展開で顕現する意識上の存在環境圏に、自分の意志がそのまま展開されて顕現し、情緒として実感する存在環境圏に喜びを感じ取っていました。自分の喜びの為の構想理想を立てるために、知情意の機能を展開するわけですが、その為に本形状のエネルギーが働き、その作用によって思考展開が始まります。その思考展開を結実として顕現させるのもエネルギーの作用ですが、本形状のエネルギーの存在自体は絶対的な無でなければなりません。


ですから本形状は、神様の本性相にとって対象ではあっても、対象として意識上に浮かび上がらない存在様相になっています。


その存在様相において、神様の内なる相対としての役割となっていたのが、思考展開が結実として喜びを感じ取った現段階の、その前の構想による喜びの存在環境圏なのだということになります。


前の段階の存在環境圏の喜びが常に神様の残存記憶に残っていますから、現段階の存在環境圏の喜びの度合いと常に比較されることとなり、常に増大していく喜びを感じ取ることになります。この無限の授受作用の繰り返しにおいて、次の構想理想を掲げることから、全知全能により確実に展開していくわけですから、次の段階への期待と希望が無限に拡大増大していくことになるのです。


実現した喜びは、実感となって無意識世界に情緒圏を形成していきますが、まだ実現していない無限の先行きに満ちるであろう希望としての喜びは、すでに実感として形成されている情緒圏を、包み込んでくるような感覚になるのです。


その情的な包容感こそが、神様の善なる欲望を、喜びを得たいという希望に拍車をかけていく役割をするのです。


その包容感からくる喜びを求める衝動が、頂点としての極限まで高まるとどこまでに至るのかということです。他の何ものをも意識していない自分だけの存在の神様において、全知全能の絶対者として、確実に増大していく喜びがどのようになれば最大を極められるかということが明確になっていきます。


それは神様の意識圏情緒圏をも遥かに超えて存在する、根源的絶対無の全体を喜びで満たし、自分自身の存在環境圏とすることは出来ないだろうか、という最大極限の希望の追及へと至るのは、全知全能の絶対者としては当然のことでしょう。



お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する