天一国心情圏ブログ

天宙平和統一国の指針!真の父母様の本体論と絶対性教育により天一国市民の資格を得る!

自己中心的な神様の性相と形状の様相を知る為の比喩と象徴による詩的文体解説!その5

諸星くると

2024年5月7日

トランプ氏を失脚させようとするマクロ中央政府を打ち砕く為のミクロの重要ポイント!霊的兵器!


創造前の自己愛による喜びを求めていた神様においては、本性相の知情意の思考展開に対して、絶対的相対基準を造成していた本形状は、絶対的虚無の状態で膨大なエネルギーを稼働させていました。


この本形状のエネルギーそのものが、無限大の神様を包み込んで来たわけではありません。神様の自己愛で感受する情感が、知情意で受け止められ、「包容される感覚」として刺激してきたのです。それは、神様として初めての体験でした。


その様子、状況を三次元の言葉で表現するのは困難なのですが、お父様の聖霊に導かれて、次のように言語化することが出来たのです。先回記事と同様に、「本然世界に展開する真の父母様の本体論」入門編から、先回記事の続きの部分を抜粋引用します。


  **引用開始**


第1章 神様の誕生 3.自己中心な神様から夜の神様として誕生する経緯!


神様は内的愛が包容してくる胎の中に、愛の種として孕まれました。実際に内的愛(前段階エネルギー)が包みこんでくるわけではなく、神様の心情において実感された状態です。内的愛に包容されたという心情の衝動は、思考回路に反映し、私たちの感覚で言えば内的愛の形成する胎に孕まれたように感じられたのです。夜の神様がその体験を、被造世界に再現したからこそ、私たちは女性の胎なのだと理解できるのです。この内的愛に包み込まれた状態から、たった一人で存在していた自分自身を顧みると、無限に広がる自分自身は死んでいたに等しい無の暗闇の状態だと感じたのです。ここで永遠普遍の神様に、生死の概念が生じました。


愛する対象を得たい衝動が湧き上がれば上がるほどに、一人であった境遇が、無の暗闇として迫って来ます。愛の光を輝き返してくれる対象がいない状態は、まさに死んだも同然でした。無の暗闇は死の淵へと神様を吸い込んでいくのです。


この状態は、神様の心情の内で形成された実感の情念です。内的愛にすっぽりと包み込まれた中から、自らが存在していた永遠普遍の無限圏を見渡すと、底なしの暗闇が広がっているばかりなのです。


この「無の暗闇の状態」を見事に表現した、真のお父様のみ言があります。


「夜の中にいた神様の歴史が創造以前の歴史であることを分からなければならない。その夜の歴史の中にいた神様の歴史、創造の前の歴史・・・神様も大きくて出たという事実が分からなければならない。暗闇の中輝いた。7色光を合わせれば黒になる。その創造以前世界の神様が分からなければならない。元々の根本が分からなければならない。」(2010年4月1日 ワシントンシェラトンホテル訓読会)


赤・青・緑の光の三原色を、真のお父様は虹に象徴して七色と表現しました。地上界では、この光の三原色が万物に反射し輝き返すことによって、地上界に存在する全ての色が現れます。しかし、輝き返す対象となるものが無ければ、そこは真っ暗闇になるのです。つまり、創造前の夜の神様は「無の暗闇の状態」でおられ、夜の神様からは無限大の愛が放たれているのに、その愛の光に輝き答える対象が全く存在しないので「無の暗闇の状態」になっているということを意味しています。


真のお父様が七色光と表現したのは、神様の愛したくてたまらない心情が、光のように360度に向けて無限に放たれているのに、答えて輝き返す塵さえ一つも無い状態です。その愛のエナジーは陽性陰性が一体となっているエナジーであり、陽性陰性の質の変化の授受作用による正分合作用で、どんなものをも形成しうる機能と能力を備えています。しかし、愛の種となって、内的愛の胎内に孕まれたばかりの神様には、自らの対象という存在さえ未知のものなのです。


愛したくて矢も盾もたまらない衝動ばかりが、反響することもない無限の虚空に響いてはかき消されて行くのです。その段階の神様の状態こそ、夜の神様においての胎中期間であるのです。


内的愛の七色光(陽性陰性による愛の素材)が自分を光らせている時は、自分の心情自体が輝き存在の喜びを実感していました。


その愛から生まれ胎内に孕まれた状態で、愛する対象を想定すると、たった一人の悲しみを体感し無の暗闇の状態に落ちていくのです。


心情において死んでいるに等しい無の暗闇の境地に落ち、生死の概念が永遠普遍の神様に生じたのです。


夜の神様は無の暗闇の状態でも、内的愛に包み込まれ愛したい衝動に満たされていました。満たされてはいますが、それ以上に迫りくる暗闇に押しつぶされようとする孤独に交差して・・・・。愛したい衝動が募り「愛したい」と叫ぶほどに、無の暗闇の深淵(陽性陰性が完全中和した本形状)から愛を受ける対象の喜びが木霊のように返ってくるのです。輝き返す対象が無いのに、奇蹟の木霊として帰って来たのは、真っ暗闇を背景に、内的愛が神様を包み込んで来て、神様が胎のように感じ取って生じた包容してくる透明な膜が、鏡のような役割となって、自分の心情が映り込んだのです。私たち地上人の感覚に例えれば、このような比喩での表現になるのです。


私たちは女性の胎そのものを先に知っていますが、この時に内的愛が包みこんできて神様が感じ取った膜というイメージから、神様自身が女性の胎を構想したというのが真相なのです。全て神様御自身が体験した実感から被造世界の構想を練ったので、神様の形象そのものである人間の誕生から成長していく過程を追うことで、神様が誕生し成長した経緯を理解できることになるのです!


愛を受ける対象の喜びが木霊のように返って来たその時、夜の神様は主体としての自分の心情の根底に、真の愛に絶対服従して生きたい衝動が溢れていることを切実に実感したのです。孤独な夜の神様は「真の愛に絶対服従して生きる」ことこそ、至上の幸福なのだと気付かされるのです。


宇宙の根本 第一章 宇宙の根本秩序一、神様の二性性相の大展開 1.神様は二性性相の中和体

 何が統一的起源をもたらすのでしょうか。一人でいらっしゃる神様を、統一的位置で何が喜ばせてさしあげるのでしょうか。「原理」でいえば、神様は二性性相の中和的存在であり、格位においては男性格です。その男性格位というものが、どのようにして男性格位になるのかを知らなければなりません。男性格位ならば主体でありプラスですが、相対なくしてはプラスはありません。その概念の中で、なぜプラス格位にいらっしゃるのですか。愛ゆえにいらっしゃるのです。絶対的神様も絶対的に服従してみたいというのです。愛には絶対的に従順になりたい、絶対的に一つになりたいというそのような基台がなくなる時には、統一も融合も和合というものもありません。それは、根源がないために分散してしまいます。


 神様から造られたすべてのものはペア・システムです。鉱物世界もペア・システムであり、級は低いのですが陽イオンと陰イオンも愛を表示しながら絡み合っているのです。これは、レバレンド・ムーンがこの世に現れて、歴史始まって以来初めて発表するのです。神様御自身も真の愛を絶対視して、それに絶対服従して生きるというその起源を発表したのは、歴史上レバレンド・ムーンが初めてです。それは観念ではなく事実です。ですから、神様は、真の愛を探し出すために創造されたのです。 


神様の本性相は絶対主体として、対象への愛したくてたまらないどうにもならないほどに湧き上がる「為に生きたい」心情に溢れています。しかし、その主体の心情の根底には、真の愛に絶対服従して生きたい対象としての心情も溢れていたのです。それは、夜の神様がこれまで意識することもなかった本形状に、愛の対象として心情を注ぎ込んだ結果として爆発した衝動でした。


永遠普遍の神様を包み込んできた内的愛を、さらに超える真の愛で包み込もうとする爆発的な衝動は、夜の神様に主体であると同時に、対象としても生きようとする新たな生命を与えることとなりました。その心情こそが親の愛の原点となるのです。夜の神様に親子の概念が生じるのです。私たちは神様が作ってくれた世界で、子供を産むことにより親の心情を実感していますが、愛する子供に喜んでほしいと絶対服従してしまう心情が、沸々と湧き上がるはずです。それは神様が体験した親の心情、つまり「真の愛に絶対服従して生きたい」心情が、湧き上がざるを得ない親子の生命システムによる被造世界として、神様自身の体験から構想されたからなのです。


その衝動力は愛と生命を繁殖する生命の種を、無限に生み出すことの出来る能力を持って生まれることになるのです。それだからこそ、夜の神様は内的愛の胎中を経て、愛により生まれたと言えるのです。それも、絶対主体の男性を形作ることになる本性相と、絶対対象の女性を形作ることになる本形状の双子で生まれたということになるのです。


夜の神様が愛したくてたまらない絶対主体の心情と、真の愛に絶対服従して生きたい絶対対象としての心情が完全一体となって、愛と生命の種を携えて誕生しました。その時自体は、神様に双子で誕生したという実感はありません。後に被造世界の構想を練り始め、男性女性の構想理想が浮かんで、初めて双子であったと認識するようになります。


  **引用終了**


神様を存在させている二性性相の本形状は、絶対的虚無の状態で、神様自身の知情意による思考展開を顕現させていました。その無の存在だった本形状の機能から包容感を感じ取ったことにより、対象の存在にこそ、神様自身に存在の喜びを与えてくれていたことに覚醒したのです。だからこそ、自らも主体として、対象であった本形状を包み返し包括したいと願ったのです。しかし、対象の本形状自体が形状を持たず、包み返そうと思えば思うほど、つまりその情念こそが「愛」となっていくのですが、その情念への答えは返ってこないのです。


答えの帰らない無の暗闇の境地で、神様は自らの絶対主体的愛の根底に、「真の愛に全体服従したい」という絶対対象的愛があって支えられている事に気付かれるのです。この絶対的主体の愛と、絶対的対象の愛が、完全一体となって神様を存在させていたのです。その絶対的対象の愛の反映こそが、本形状の前段階エネルギーの絶対服従性となっていたのです。


ですから、二代王様が語られた創造前の三位一体システムとは、絶対的主体の愛と絶対的対象の愛が、完全一体となった真の愛のシステムだということなのです。神様の本性相は「絶対的主体の愛」が中心にあり、本形状は「絶対的対象の愛」が根底にあって、主体的愛と対象的愛が完全一体となってこそ、真の愛が顕現するのです。


この真の愛の三位一体システムを原形として、真の愛を中心とする「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の構想が立てられたのです。


つまり、真の愛を中心として「絶対主体の愛」が中心にある性相の位置に神様(聖父)が立ち、「絶対対象の愛」が根底にある本形状の位置にキリスト(聖子)が立つのです。絶対主体の愛の神様と、絶対対象の愛の位置に立つキリストが授受作用して一体となる時には、どちらが主体でどちらが対象という次元ではなく、どちらも「真の愛に絶対服従する真の愛の実体」となるのです。その「真の愛の実体」から発動される「真の愛」が「お父様の聖霊」となって霊界にも地上界にも顕現するのです。


ですから、聖父と聖子と聖霊は、それぞれが別の存在でありながら、完全一体となって天一国創建のためにミクロにもマクロにも働きかけるのです。


この究極の真理を、堕落圏に落ちてキリストによって霊肉とも救われた祝福家庭が、サタンの網から脱却して取り戻すことこそ、サタンの攻撃や謀略に打ち勝つ鍵なのです。その鍵を取り戻すことによって、私たち聖殿食口・王王妃は、お父様の完全勝利によって与えられている霊的兵器を身にまとうことが出来るのです。


  **6回分記事引用終了**


この詩的文章からエロス愛を想像するようでは、その方自身の無意識世界にその鬼神が潜んでいるとしか思えません。元来、絶対性に関する霊的肉的どちらも神聖なものです。その男女を通して、天宙が一体となるのです。全ての夫婦において、そのような天宙的次元の絶対性です。



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